概要
金華山山頂に築かれた山城で戦国期には稲葉山城と称され織田信長の本拠として天下布武の拠点となり現在は史跡と観光地として整備されている
城郭詳細データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ヨミカナ | ギフジョウ |
| 別名 | 稲葉山城(いなばやまじょう) |
| 所在地 | 岐阜県岐阜市杉ケ洞 |
| 100名城スタンプ | 第138 岐阜城資料館および岐阜公園総合案内所 9:30〜16:30 |
| 城郭構造 | 連郭式山城 |
| 天守構造 | 不明 |
| 築城者 | 二階堂行政 |
| 主な城主 | 斎藤氏 織田氏 池田氏 松平氏 |
| 築城年 | 13世紀前半 |
| 廃城年 | 1873 |
| 城址碑 | あり |
| 案内板 | あり |
| 現存建造物 | 【移築】不明 |
| 再建建造物 | 天守 模擬隅櫓 復元門 |
| 指定文化財 | 国指定 |
| 遺構 | 石垣 土塁 空堀 井戸跡 曲輪 |
| 現状 | 史跡公園・山頂観光地として一般公開 |
| 駐車場 | 岐阜公園堤外駐車場(有料) |
| 最寄り駅 | JR 岐阜駅 |

城犬のおいど 攻城記録

御手洗池
むかしうしろの山に伊奈波神社があり、この池で手を洗って参拝したことからこの名がある。慶長5年(西暦1600年)関ヶ原合戦があり時の岐阜城主織田秀信は石田三成に味方し徳川軍の福島正則、池田輝政らに攻められ落城した。そのおりに大勢の奥女中らがこの池に投身自殺したと伝えられる。正史にはさありとも雁の涙おつ
※現地看板より


金華山展望台


岐阜城の由来
鎌倉時代の建仁元年(1201)、幕府の執事二階堂山城守行政が軍事目的のためにここに初めて砦を築いたと伝えられているが、稲葉山城として日本史に大きく登場してくるのは斎藤道三以降のことです。斎藤道三は天文8年(1539)2月に稲葉山城を修築して入城し、続いて子の義龍、孫の龍興が城主となりました。永禄10年(1567)織田信長は斎藤龍興と戦って稲葉山城を落し、9月新城主として入城しました。信長は稲葉山城を岐阜城と改め、楽市場を保護し、「天下布武」の朱印を用いるなど天下統一の本拠地としました。永禄12年に宣教師ルイス・フロイスが岐阜城を訪れ、その壮麗さに驚いたことを書簡に記して本国ポルトガルへ送り、西洋にまで岐阜城のことが知られるようになりました。

その後、織田信忠・神戸信孝・池田元助・池田輝政・豊臣秀勝が岐阜城主となりましたが、慶長5年(1600)8月23日岐阜城主織田秀信は西軍の豊臣方に味方して東軍の徳川方と戦い、福島正則・池田輝政に攻められて開城しました。慶長6年、岐阜城は廃城となり天守・櫓などは取り壊されて加納城に移築され、江戸時代には金華山頂に天守が建てられることはありませんでした。

明治43年(1910)木造の模擬城が建てられましたが、昭和18年(1934)焼失しました。その後、観光岐阜のシンボルとして、また安土桃山時代の華麗な城郭を再現したという岐阜市民の熱意と浄財により昭和31年に現在の三層四階の天守を再建しました。平成9年(1997)大改修工事を行い、織田信長の頃の壮麗な天守の姿を再現しました。
※現地天守入口看板より


岐阜城資料館



2011/4最終訪問
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