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豊前国 中津城 [NAKATSU-CASTLE]

概要

中津城は黒田孝高によって1587年に築城され、豊臣秀吉の九州平定後の拠点として整備された。関ヶ原の戦いの後は細川氏、小笠原氏、奥平氏と続き、廃藩置県により1871年に廃城となった。現在は大分県指定史跡として保存されており、模擬天守や資料館を中心に歴史を伝えている。

城郭詳細データ

項目内容
ヨミカナナカツジョウ
別名扇城、小犬丸城、丸山城
所在地大分県中津市
100名城スタンプ第191 中津城内
城郭構造梯郭式平城(海城)
天守構造作られず、独立式(現在)作られず、望楼型5重5階(現在)
築城者黒田孝高
主な城主黒田氏、細川氏、小笠原氏、奥平氏
築城年1588
廃城年1871
城址碑あり
案内板あり
現存建造物なし
再建建造物模擬天守
指定文化財県指定
遺構石垣、水堀、井戸跡、曲輪
現状史跡中津城址、奥平神社
駐車場中津城 駐車場
最寄り駅JR 中津駅


城犬のおいど 攻城記録


東側復元石垣


扇形の石垣


スタンプ設置場所


続日本100名城スタンプ設置場所

黒田官兵衛資料館


奥平家歴史資料館


入口


中津川


奥平神社


三斎池


椎木門跡


中津城旧地図


黒田が持ち込んだ古代山城の石


正面の石垣はy字型の目地が通ります。右側(川側)が黒田時代の石垣でその上に積まれた左側の石垣が細川時代です。

黒田官兵衛(如水)像と
正室光姫像


戦国時代の名軍師と謳われた初代中津城主黒田官兵衛(如水)は織田信長に認められ、豊臣秀吉に頼りにされ、徳川家康に恐れられた戦国武将でした。秀吉の九州征伐の武功で豊前国6郡12万3千石の大名になり、中津城を築城。秀吉の天下統一に貢献。

文禄・慶長の役では黒田24騎と呼ばれた勇猛果敢な家臣団が大暴れし、天下分け目の関ヶ原の合戦では天下をも窺おうとしたと伝えられています。生涯57戦無敗、家臣を愛しみ育てた稀代の武将でした。戦に明け暮れたその波乱の生涯には、いつもそばに正室「光姫」が寄り添っていました。戦国時代には世継ぎが求められ、家を守るために側室を置くのが慣わしでしたが、官兵衛は側室を置かず、才徳兼備と家臣たちに慕われた正室「光姫」ただ一人を生涯愛し続けたのです。晩年には和歌や茶道を嗜み、穏やかな日々を過ごした官兵衛と光姫は夫婦和合の麗しき姿として後の世までも伝えられています。
※現地説明石碑より

2026/2最終訪問


城郭周辺地図

大分県中津市

中津城 駐車場


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