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尾張国 小牧山城 [Komakiyama Castle]

概要

1563年(永禄6年)に織田信長が尾張統一後に美濃攻略の拠点として築城。清須城から本拠を移し、山全体を城郭化した総石垣・総構えの初期織豊系城郭であり、後の安土城の原型とも評される。山頂には天守台と推定される石垣が残る。信長が岐阜城に移った1567年(永禄10年)には廃城となるが、1584年(天正12年)の小牧・長久手の戦いでは徳川家康が大規模な陣城を築き、改修・再利用された。現在の山頂の模擬天守は小牧市歴史館。発掘調査により、信長時代の城郭遺構や家康時代の陣城遺構が確認されている。

城郭詳細データ

項目内容
ヨミカナコマキヤマジョウ
別名なし
所在地愛知県小牧市堀の内一丁目
100名城スタンプ第149 小牧市歴史館(模擬天守内)1F・9:00~16:30(入館は16:15まで)・休館日:毎週月曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始
城郭構造階郭式平山城
天守構造不明不明
築城者織田信長
主な城主織田氏・徳川氏
築城年1563年
廃城年1567年
城址碑あり
案内板あり
現存建造物なし
再建建造物模擬天守(小牧市歴史館)
指定文化財国指定
遺構曲輪・石垣・土塁・空堀(堀切・横堀)・礎石群
現状小牧山城史跡公園(小牧市歴史館)
駐車場あり・小牧山駐車場(有料)・小牧市歴史館駐車場(無料)
最寄り駅名鉄小牧線小牧駅


城犬のおいど 攻城記録


大手道


ここは小牧山城の表口(大手口)です。現在は東側から階段を上って城の中に入っていきますが、本来はこの階段はなく、南側から城の中に入っていました。ここから入って城の中心である山の頂上まで行く道が大手道で、江戸時代に描かれた「春日井郡小牧村古城絵図」には赤線で書かれており、現在の道もほぼ同じところを通っています。

大手道はここから150mぐらいまっすぐに上り、そこで右に曲がって70mぐらいまっすぐ進むと途中からヘビのようにクネクネと曲がった道になり、山の頂上へ続きます。ふつうは、城の道は敵が入りにくいように段々と並んでいることとともに、1576(天正4)年に織田信長が造った安土城(現在の滋賀県近江八幡市)と同じです。
※現地説明板より

永禄期大手道の石積


山の岩盤に築いた石垣


大手道から頂上の主郭(曲輪001)に到る主郭地区の史跡整備に向けて、遺構の遺存状況を確認するため、平成16~21年度にわたり4次の試掘調査を実施しました。
 曲輪001を取り巻くように設けられた上段の曲輪021と曲輪023(現在地)を画する崖状の法面の調査では、小牧山の岩盤層の切り立ちの上に築かれた石垣を確認することができました。
 

近世城郭に多い水堀の底から立ち上がる平城の高石垣は、松の胴木を松丸太留めした上に基礎の根石を据え、間石を詰めながら積み石を組んでいきますが、ここでは、小牧山の自然の地形を活かし、岩盤を基礎としてその上に積み石をしたり、切り立つ露出した岩盤の崖そのものを石垣に見立てていたようです。石垣は、一部で2段の積み石が残っていたのみで、天端石は失われていました。
 

石垣の上段となる曲輪021の端部は、黒色土と砂礫層(岩盤が2〜5cm大に細かく砕かれたもの)が交互に積まれて造成されていました。
 曲輪023の崖際では、裏込石として使われていたと考えられる大量の礫(丸礫、角礫とも)の堆積を検出しました。
※現地説明板より

巨石石垣の露頭


大手道から頂上の主郭(曲輪001)に到る主郭地区の史跡整備に向けて、遺構の遺存状況を確認するため、平成16~21年度にわたり試掘調査及び発掘調査を実施しました。以前から、曲輪001の北西法面の一部に石垣の巨石群が露頭していることは知られていましたが、この露頭する石垣の両側で実施した法面の調査により、曲輪001の西法面から北西法面、さらに北東法面の一部にかけて、石垣が連続して残ることがわかりました。

これまでに確認した曲輪001法面に残る石垣のうちでは、ここの西法面で使われた石が最も大きく、縦約1.3m、横約1.9mの石が3つ続けて並べられています。大きな石が使われているためか、西法面から北西法面の露頭石垣までは、他に比べて石垣はよく残っています。露頭石垣から北側では、所々で積み石が抜け落ちている状況が見られました。曲輪001の法面の石垣は、その屈折具合や築かれた面の傾斜具合から、山の地形に合わせて築かれた塁線である印象を与えています。
※現地説明板より

主郭跡


織田信長が城を築き、後に徳川家康の本陣となりました。周囲に石垣の跡が部分的に残っています。
※現地標柱より

尾張徳川家19代徳川義親之像


小牧山は昭和5年10月尾張徳川家19代徳川義親氏により小牧市に贈られて以来、自然公園として広く一般市民に親しまれ愛されてきました。小牧山が贈られて満55年、しかも市制施行30周年の意義深い機会に報い、そのご遺徳を永く後世に伝えるため、広く市民の浄財を得て同民の銅像をここに建立しました。
※徳川義親氏顕彰会

小牧山と歴史館のご案内


標高八五・九メートル 面積約二一万平方メートル(約六万三千五百坪) 小牧山は、本市のほぼ中央、市街地の西側にあって、濃尾平野に孤立する小さな山で、昭和二年一般に公開、この年国より史跡の指定を受け、その後徳川家から小牧町(当時)へ寄付されました。この山は古くから桜の名所として親しまれ、今日では四月上旬に「小牧山さくらまつり」が催され、たくさんの見物客でにぎわいます。 

歴史館(小牧城)は昭和四三年 平松茂翁(故人)が私財を投じて建設し小牧市に寄付されたもので、鉄筋コンクリート三層四階建て、高さ一九・三メートル、秀吉が京都聚楽第に建てた飛雲閣(現西本願寺内)をモデルにして名古屋工業大学城戸久教授(故人)の設計によって建てられました。 館内は市指定文化財の銅鐸、銅鏡をはじめ考古・民族・歴史資料や小牧・長久手合戦のパノラマなどが展示されて小牧市の歴史をすることができます。 

永禄六年(一五六三)織田信長が美濃(岐阜)に進出する大志のもとに、地の理を得たこの山に目をつけ、清須(洲)城から移ると共に山全体を要塞にするため、山頂から麓まで五段の塁濠をつくり、山頂に屋敷、南側に大手道、北側に搦手道をつくりました。中腹には馬場をつくったり、井戸を掘ったり、また要所に重臣の邸宅を置きました。当時は、北側は池沼で自然の要害であったため工事は省かれましたが、南側は原野であったため大工事であって、あちこちに堀をつくりましたが、それらは今なお山中にみられます。

その後信長は美濃に攻め入って岐阜稲葉城に移り住んだので、この山は自然廃城となりました。そして小牧・長久手の戦で再び歴史の舞台に登場してきます。
※現地案内板より

天正小牧山合戦


天正十年(一五八二)の本能寺の変の後、信長の後継者問題で二男信雄と秀吉が対立、秀吉は信雄を懐柔しようとしますが、これに応じずかえって反逆したため北伊勢の居城を攻撃します。信雄は驚き家康に援助を求めたところ、信長に恩のある家康はこれを引き受け、自ら大軍を率いて清須(洲)城に入り、地の利第一の小牧山に軍を進めました。

一方秀吉は大坂(阪)城を出て犬山城に入り、市内の岩崎山を中心にこの付近各地に巾広く砦を築いて、小牧山の家康・信雄軍と対峙しました。この時の両軍の兵力は十万余と言われます。しかし、戦いは小ぜり合いを繰り返し、長く膠着状態が続きました。秀吉は、部下池田信輝の再三の進言によって、家康の居城である岡崎城を攻撃すれば一挙に解決するものと考え、軍の一部を密かに移動させますが家康軍に気付かれ 家康自ら秀吉軍を急進撃します。

これが長久手を舞台に繰り広げられた長久手の戦いで、家康軍の完勝となりました。
※現地案内板より

守りの要衝 虎口a


大手道から頂上の主郭(曲輪001)に到る主郭地区の史跡整備に向けて、遺構の遺存状況を確認するため、平成16~19年度にわたり4次の試掘調査を実施しました。平成18年度の第3次試掘調査では、主郭地区と西側曲輪地区を隔てる堀Ⅰ(説明板の南側の堀)、その東側に位置する土塁A、西側の土塁E及び北側の土橋(この付近)の状況を把握すべく、ここ虎口aの調査を実施しました。

堀Ⅰは、土橋によりここが北端部となっており、幅は約6.5mを測ります。堀底は平坦で、堀底からの高さは、土橋までは2.5m~3m、土塁Aまでは約6.5m、土塁Eまでは約2.3mあり、堀の法面は40~50度に作られ、ここが土塁と堀で堅固に防御された守りの要衝であることがわかりました。この虎口は、織田信長築城時(永禄期)に築かれましたが、小牧・長久手の合戦(天正期)には、土橋が封鎖されました。江戸時代に作られた小牧山模型を見ると、高い土塁が曲輪の北側まで続くように表現されています。

現在、曲輪003(土橋を上がった所の平坦地)の縁にある土塁Aは、わずかな高まりを残す程度ですが、これは、明治時代に小牧山が一時期県立公園となり、曲輪003に「創垂館」を建設するために土塁Aを削平し、現在の園路も通されたと考えられます。削平された土が曲輪内に敷均され、土橋、堀Ⅰ、土塁Eにも押し出されたようで堀Ⅰでは2.6mの厚さで土砂の堆積がみられたどころがありました。
※現地説明板より

城下町から小牧山城へ向かう大手道


織田信長が小牧山城にいた時、山の南側には城下町がありました。正面にある小牧市役所を建てる前に、城下町の跡(小牧池田遺跡)の発掘調査をしたところ、城の表口(大手口)であったここへ向かう道(大手道)の跡が見つかりました。

市役所から続く細長い線は、その道の場所がわかるようにしたもので、市役所の1階の床へと続いています。道は、2.7m~3.6mの幅がありました。
※現地説明板より

2018/12最終訪問


城郭周辺地図

愛知県小牧市堀の内一丁目

小牧山駐車場(有料)


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