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肥前国 島原城 [ SHIMABARA CASTLE ]

城郭DATA -CASTLE DATA-

項目内容
ヨミカナシマバラジョウ
別称森岳城、高来城
スタンプ設置場所島原城受付窓口
曲輪配置連郭式
城郭種類平城
築城者松倉重政
築城年1624年
廃城年1871年
主な城主松倉氏、深溝松平氏
指定史跡国指定
標高27.6 m
城址碑あり
案内板あり
現存建造物あり
復元建造物あり
遺構あり
現状史跡島原城跡
駐車場島原城駐車場
最寄り駅島原鉄道 島原駅


概要・現地案内板

この地は森岳といい、有馬晴信が本陣を構えて佐賀・龍造寺隆信軍を撃破したところです。この瑞祥の地に、五条(奈良県)から入封した松倉重政が島原城を築きました。
元和4年(1618年)着工、4~7年の歳月を経て完成。
同時に島原城下町も整備したといいます。
波風をもたない層塔型総塗込の五層の天守閣を据える本丸。北へ二の丸と三の丸を配置して、要所を三層櫓で固め、外郭は4キロにわたり矢狭間をもつ練塀で取り囲みました。
4万石の大名には過分な城です。
ここに有馬氏時代からの海外貿易の利益と、松倉氏の新興大名としての意気込みが見られます。
以来、松倉氏・高力氏・松平氏・戸田氏・再び松平氏と4氏19代の居城として輝きました。
その間、寛永14年(1637年)島原の乱では一揆軍の猛攻をしのぎ、寛政4年(1792年)島原大変時には打続く地震と足下を洗う大津波にも耐えてきました。
明治維新で廃城になり、払下げ・解体されましたが、島原市民の夢である御城復元への取組みが長年続きました。
昭和39年(1964年)天守閣が復元するなど、次第に昔の面影を取戻しつつあります。

※現地看板より


城犬のおいど 攻城記録


駐車場


城キャン
~お城キャンピングカー泊~
島原城でキャンピングカー泊が出来ます!!

景華園遺跡の支石墓掌石


丑寅の櫓


天草四郎像


西望芸術の世界から生まれた天草四郎であり、祈りを捧げるその姿は、正面性が強調された情熱と信仰の像である。原城のあった地こそ作家の郷里であり、有明海を望む明るく平明な地が慣習に促われることなく、新しいものへと挑む作者の資質を形成したと思われる。
※現地看板より

若き日の織田信長像


馬上で振り返り気味に弓を射る若き日の織田信長像である。馬上像の研究を重ねる中で、やがてその表現は、自由に軽やかに空中を飛ぶような自由な姿の馬上像である。東京美術学校時代の恩師らより継承した男性的な大らかさと、女性的な優雅さが融合され、さらに磨き上げられた躍動感のある馬上像である。
※現地看板より

旧鯱


スタンプ設置場所


日本100名城スタンプ設置場所

出口


島原城御馬見所


御馬見所は、幕末の藩主松平忠和の時代に藩士の訓練状況を見るために建てられました。現在は、島原城天守閣の東北方向のほど近いところに建っていますが、もともとは三の丸(現在の島原高等学校付近)にありました。明治維新後に口之津町に移築され、その後、昭和41年に再び城内に移築されました。

御馬見所は、木造平屋建で、屋根は切妻造の杉皮葺、中央の畳廊下を挟んで四畳半の2室が左右に並んでいます。前面(西面)と左右両側の3方を大きな開口部として障子を建ています。全般に細い木を骨組みに用いた数奇屋風の建物です。島原城の数少ない遺構として貴重な存在です。平成25年3月、国の登録文化財となっています。
※現地説明板より

西の櫓


大手門跡


2026/1最終訪問


御城印

城郭周辺地図

長崎県島原市城内一丁目

島原城駐車場(有料)までのGoogleMAP


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