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肥前国 神代氏芦刈城 [KUMASHIRO SHI ASHIKARI-CASTLE]

概要

神代氏芦刈城(神代氏芦刈館)は、佐賀県小城市芦刈町芦溝に所在した中世末〜近世初頭の平城・館跡である。山内(現在の佐賀・神埼北部)を本拠とした有力国人・神代氏(くましろし)が、今山合戦後に龍造寺隆信と和睦し、その所領を山内から佐賀平野へ移された際に築いた新たな拠点であった。天正18年(1590)頃には芦刈・川久保・納所・松瀬など約一万石を領し、その支配の中心として芦刈館が機能したとされる。現在は「芦溝地区農村公園」一帯が館跡とされ、説明板とわずかな堀跡が、かつて「山内の雄」と呼ばれた神代氏の栄枯盛衰を静かに伝えている。

城郭詳細データ

項目内容
ヨミカナクマシロシアシカリジョウ
別名神代氏芦刈館、芦刈館、御館
所在地佐賀県小城市芦刈町芦溝
100名城スタンプ
城郭構造-平城
天守構造なしなし
築城者神代勝利
主な城主神代氏
築城年慶長年間
廃城年不明
城址碑なし
案内板あり
現存建造物なし
再建建造物なし
指定文化財未指定
遺構水路(外堀)
現状宅地、田畑
駐車場付近に駐車場なし
最寄り駅JR 牛津駅


城犬のおいど 攻城記録


神代氏芦刈館跡


この館は江戸時代に佐賀鍋島藩家臣神代氏が芦刈地域を管轄するために開設した館です。神代氏は戦国時代に脊振・佐賀・小城山間部を支配し、肥前の戦国大名龍造寺隆信とも度々戦いました。のちに、龍造寺氏に臣従し、江戸時代は、鍋島藩家臣として、川久保や芦刈地域を領有しました。

神代家文書の「御知行石高并諸覚」によれば天正18年(1590)に、「芦刈・川久保并 岩蔵・納所・松瀬」などの地所で物成6420石余が宛がわれました。寛文2年(1662)2月19日付の「御公儀二差出目安前」には1437石余が「芦ヶ里村」分として掲げられています。神代氏の全知行地内で芦刈館が果たした重要度が想像できます。

館跡は、現在の芦溝地区の農村公園を含む南北170m×東西250mが範囲(旧字名を「神代」という)で、特に北東隅の田地を「館屋敷」、「オヤカタ跡」などと呼称します。この場所が神代氏館の比定地であることは疑いありません。江戸時代後期に編さんされた「荻府見聞俚言集」には「館屋敷神代之館也、凡壱 段三方堀也」と記されており、

周囲には「川久保」「松瀬」「藤原」といった山内地方を中心とする戦国期からの本領地名と同じ「しこ名」が残っており、旧家臣団が転入して土着していったことを物語っています。
※現地説明板より

松土居


寛永年間に干拓のために築かれた大堤防です。佐賀市から白石町まで続いています。
※現地看板より

2026/2最終訪問


城郭周辺地図

佐賀県小城市芦刈町芦溝

付近に駐車場なし


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