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筑後国 津村城 [Tsumura Castle]

概要

津村城(つむらじょう)は、中世筑後国(現・福岡県大川市津)に築かれた平城です。大友氏に仕えた津村秀保によって築かれたと伝わります。天正2年(1574年)、肥前の龍造寺隆信が筑後へ侵攻した際、最初の標的となり激しい猛攻を受けました。城主の津村大助秀門は討死し落城。関ヶ原の戦い後は、柳川城主となった田中吉政の家臣・榎津加賀右衛門が城代(3,000石)として入城しましたが、元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となりました。

城郭詳細データ

項目内容
ヨミカナツムラジョウ
別名不明
所在地福岡県大川市大字津
100名城スタンプ第-番 -
城郭構造平城
天守構造なし
築城者津村秀保(栗木秀保)
主な城主津村氏
築城年不明
廃城年1615
城址碑なし
案内板あり
現存建造物なし
再建建造物なし
指定文化財なし
遺構曲輪(八幡神社)、水堀
現状八幡神社、宮若神社、水田
駐車場なし
最寄り駅西鉄天神大牟田線蒲池駅より徒歩


城犬のおいど 攻城記録


津村城跡


津村城跡は、戦国時代に24町を治める国衆(地侍)であった津村氏の城があったところです。堀に囲まれた「字城跡」・「字二ノ丸」を中心に、二重~三重の堀を巡らせて外敵の侵入に備えていたことが、今も地割や地名などから読み取ることができる貴重な戦国遺構です。また、城の北側には城主ゆかりの八幡神社や、城主ゆかりの仏像を安置していた医徳寺などがあります。

当時、筑後では200家におよぶ国衆同士がしのぎをけずっており、津村氏は豊後の戦国大名である大友氏の配下として、覇権争いに動員されました。天正2(1574)年に、龍造寺隆信が筑後に侵入し、最初の標的となったのが津村城でした。深堀大膳率いる二千の大軍の猛攻を受けて津村城は落城し、城主の津村大助秀門は討死しました。※現地教育委員会看板より

津村八幡神社


神脇


2026/6最終訪問


城郭周辺地図

福岡県大川市大字津

駐車場なし


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