城郭DATA -CASTLE DATA-
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ヨミカナ | オオノジョウ |
| 別称 | 越前大野城、亀山城 |
| スタンプ設置場所 | 越前大野城一階 09:00-16:00 |
| 曲輪配置 | 梯郭式 |
| 城郭種類 | 平山城 |
| 築城者 | 金森長近 |
| 築城年 | 1575 年 |
| 廃城年 | 明治時代 |
| 主な城主 | 金森氏、松平氏、土井氏 |
| 指定史跡 | 県指定 |
| 標高 | 241.5 |
| 城址碑 | あり |
| 案内板 | あり |
| 現存建造物 | 不明門(移築)、鳩門(移築)、隠居所(移築) |
| 復元建造物 | 復興天守、復興小天守、模擬門 |
| 遺構 | 石垣、堀 |
| 現状 | 史跡越前大野城 |
| 駐車場 | 亀山西駐車場 |
| 最寄り駅 | JR北陸本線 福井駅 |

概要・現地案内板
越前大野城は、1576年(天正4年頃)、織田信長より大野郡の3分の2を与えられた金森長近により、4年の歳月をかけて築城されていた。
当時の城は、本丸に望楼付き2層3階の大天守2層2階の小天守・天狗櫓などを置き、 麓に二の丸、三の丸があり、二重の堀と川をつないでいた。
城犬のおいど 攻城記録
駐車場

新堀川
新堀川は、新堀清水の湧水や、ほかのいくつかの清水から流れ出る小川が注ぎ込み、最後は赤根川に合流します。かつては川幅も広くイトヨやホタルも多く生息していました。また江戸時代には、亀山の北側を流れる赤根川とともに越前大野城を囲む外堀の役割も担っていました。その様子は、江戸時代に描かれた絵図に見ることができます。
※現地看板より

柳廼社

大野市民俗資料館
この建物は明治22年(1889)に大野治安裁判所として旧柳町に建てられ、昭和43年(1968)まで裁判所として使用されていたものを現在地に移築したもので、昭和46年(1971)に指定文化財となっています。
※現地看板より


南登り口

亀山公園
この公園は、面積約11.4ヘクタールの台地で、標高249メートルの頂上には市のシンボルである越前大野城があり、当市を代表する観光名所であります。なお頂上からは当市が一望できます。
※現地看板より

百間坂
江戸時代、大野藩の侍たちが城の本丸へ行くには、藩庁から亀山の山頂に通じる百間坂を必ず登りました。今の百間坂以外の遊歩道は、明治時代以降に整備されたものです。

藩庁や御殿(藩主の居館等)のあった二の丸は、いま、学びの里「めいりん」の敷地になっています。右の小道を行けば、百間坂を通って越前大野城に行くことができます。
※現地看板より


土井利忠像
大野土井家7代目の藩主。幕末期に藩政改革に着手。門閥を問わず、優秀な人材を登用し、在位44年の間に財政再建を成しとげたほか、4万石の小藩ながら次のような様々な事業を行いました。

藩校明倫館の開設 図書漢籍の充実 洋学館の開設 洋書購入 翻刻出版西洋医学の採用 種痘の実施 病院の開設 西洋砲術の採用 鉄砲の製作 藩店「大野屋」を全国各地に開店 蝦夷地探検と開拓 屯田の実行 藩船大野丸の建造
※現地看板より



お福池
お福は斎藤道三の娘で織田信長の正室・濃姫の姉妹という話もあるが、定かではない。

武具蔵跡
武具蔵は、越前大野城を守るために必要な武器を保存していたと考えられる建物です。武具とは、鉄砲(火縄銃)や弓、槍のほか、鎧などの具足のことをいいます。古文書などから越前大野城には、鉄砲や弓のほか、大筒(大砲)なども置かれていたことがあるようです。

この場所は、本丸を守るための武具が大切に保管されていた場所です。
※現地説明板より


天守台

入口

スタンプ設置場所
続日本100名城スタンプ設置場所






武者登り
城郭全体が梯郭式で、天守台も北東西の升形と南に帯曲輪を配置していた。

野面積み
越前大野城の石垣は、野面積みという自然石を加工しないで積みあげる16世紀後半の古い形式の石垣です。すき間に詰め石があるなど、外観は粗雑に見えます。しかし、水はけが良いため、実はたいへん堅固な造りとなっています。

石垣の工法は「野面積み」から「打ち込みはぎ」や「切り込みはぎ」といった、石をたがねで加工し、形を整えてから積みあげる工法へと移っていきます。福井城や金沢城などの石垣は、そのような工法で造られています。
※現地看板より

本丸
本丸は山頂を切って天守台だけを残し、武器蔵、焔硝(えんしょう)蔵等を配し、 多聞塀が526mにわたって廻らされていた。

金森長近公像
1575年(天正3年)に越前の一向一揆を収めると、その恩賞として大野郡の3分の2を与えられた。 長近は標高約249mの亀山の頂上に天守閣を築き、麓に城下町を建設した。

城址碑

麻木櫓跡
江戸時代、この場所に「麻木櫓」という建物がありました。櫓とは、近世の城郭に建てられた矢や鉄砲を発射するための建物のことです。

越前大野城には、4棟の櫓があったようですが、亀山の上に建てられた2階建ての櫓は、この櫓だけだったようです。城下を見下ろすことができる場所であることから、城を守る上で重要な役割を持っていたと考えられます。
※現地説明板より


亀山観音



百間堀跡

武家屋敷(旧田村家)


2023/11最終訪問
城郭周辺地図
福井県大野市城町
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