城郭DATA -CASTLE DATA- 
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ヨミカナ | マルガメジョウ |
| 別称 | 亀山城、蓬莱城 |
| スタンプ設置場所 | 丸亀城天守 09:00-16:30 |
| 曲輪配置 | 輪郭式 |
| 城郭種類 | 平山城 |
| 築城者 | 生駒親正 |
| 築城年 | 1642年 |
| 廃城年 | 1871年 |
| 主な城主 | 生駒氏、山崎氏、京極氏 |
| 指定史跡 | 国指定 |
| 標高 | 62.9 m |
| 城址碑 | あり |
| 案内板 | あり |
| 現存建造物 | あり |
| 復元建造物 | なし |
| 遺構 | あり |
| 現状 | 史跡丸亀城跡 |
| 駐車場 | 丸亀市立資料館駐車場 |
| 最寄り駅 | JR 丸亀駅 |

概要・現地案内板
丸亀城は、生駒氏が慶長2年(1597)から5年をかけて西讃岐の支配のため築城したが、一国一城令により廃城となった。
その後、生駒氏の転封により讃岐は東西に二分され、西讃の拠点として山崎氏がその城跡に、寛永20年(1643)より築城を開始した。
山崎氏絶家後は京極氏が入封し、明治維新を迎える。
天守は全国で最小ながら現存する木造天守12城のひとつであり、大手門や御殿門も現存している点は貴重である。
標高66mの自然の岩山である亀山を利用し、それを取り囲むように四方に3段の石垣を巡らせ、山下部から三の丸、二の丸、本丸へと登って行く縄張りとしている。
山上部にはかつては現存する天守を含め12の櫓とそれらを繋ぐ渡櫓があり、山下部には藩主の住む居館や大手門、庭園などがあった。
また、外堀の内側には武家屋敷を置き、大手口や搦手口には家老屋敷を配置して守りを固めていた。
また、緩やかな勾配から次第に急になり最後は反り返る「扇の勾配」といわれる高さ20mを越える見事な高石垣が見所である。
※現地看板より
城犬のおいど 攻城記録

大手二の門
もと南方にあった大手門を京極氏入城直後の寛文10年(1670)に北方のこの地へ移築した。大手の外門高麗門は切妻造りで、左右に狭間塀を持ち、内部の石垣は岩岐組みされ、大手二の門とよび、右方の櫓門は大手一の門とよばれ、楼上で時報の太鼓を打っていたので太鼓門ともいわれている。

両門とも同時の建造で主要部はすべて欅材を用いている。
※現地石板より

幸運の❤石
これを触れると良縁のご利益があるとか・・・

大手枡形
もと南方にあった大手枡形を京極氏が入城直後の寛文10年(1670)に北方の此の地へ移築したもので、大手一の門と二の門、狭間塀とよく調和された築造で、巨石を多く用いた堅固な枡形で、甲州流軍学の標準とする5間に8間の「58の枡形」を凌く、10間(18メートル)に11間(19.8メートル)の巨大なものである。
※現地石板より

大手一の門



見返り坂

三の丸北高石垣
丸亀城跡は標高66メートルの亀山に築かれた平山城で、山復部、三の丸には高石垣が巡っている。特に北側の石垣は高さ20メートル以上あり、隅角部の石垣は算木積みと呼ばれる積み方で、直方体の大きな石を角石に用い、大面と小面を交互に組み合わせ、小面の角石の横には角脇石を配することで、高く強固な石垣となっている。

丸亀城の高石垣は仰(矩)返しという技法を用い、石垣下部は緩く、上にいくほど急な勾配となり「扇の勾配」と呼ばれる美しい勾配で築かれている。
※現地看板より

三の丸東張出石垣
石垣のふくらみや石材の割れなどが著しく、石垣が崩壊する危険性があり、修復工事を行いました。修復前に発掘調査を行ったところ櫓台の南面石垣や凝灰岩製排水路が検出されました。これらの結果と丸亀城絵図(山崎氏時代の城郭絵図 大洲の図)や木図(京極氏時代)の形や寸法を元に、櫓台の石垣高や幅、西面の石垣を復元しました。
※現地説明板より

三の丸
見返り坂を登ると三の丸である。海抜約50.5メートルの平地で、東方(左方)の眺めがすばらしい。飯野山(讃岐富士422メートル)がそびえ、その手前に土器川が右(南)から北へ流れ、その北に青ノ山が横たわり、更にその北に遠眺するは坂出市番の州工場地帯と瀬戸大橋である。東南隅に巽櫓の跡がある。

土器川の東と城の南方は旧高松藩領で、それを見張る櫓であった。月見にはよい位置であったから月見櫓とも呼ばれた。
※現地看板より

延寿閣別館
麻布にあった丸亀藩京極家の江戸藩邸を昭和8年(1933)に移築したもので、内部は大名家の生活がしのばれるよう昔のまま保存されている。
※現地看板より

月見櫓跡

二の丸虎口


二の丸井戸
この井戸は直径が一間(1.8メートル)、深さは絵図によると36間(約65メートル)と記され、日本一深い井戸といわれている。丸亀城で最も高いところにあり、現在も水を湛えている。

また、石垣を築いた羽坂重三郎が敵に通じるのを恐れたお殿様により、この井戸の底に入っている間に石を落とされて殺されたという伝説が残っている。
※現地看板より

二の丸隅櫓跡


本丸

宗門櫓跡

天守





スタンプ設置場所
日本100名城スタンプ設置場所。


長崎櫓跡
長崎櫓跡は、石垣高約12m、広さ東西5間(約9.4m)、南北4間(7.6m)で、石垣上部から約60㎝の深さに建物の礎石がありました。平成3~4年度の石垣修理工事で石垣内部の構造がわかりました。内部には、土砂と礫を層状に突き固め版築した盛土があり、石垣と盛土の間には、安山岩の角礫を用いた栗石が約2m幅で入れられていました。

この栗石層は石垣内の水抜きや土圧の緩和作用があると言われています。
※現地看板より





栃の木御門跡

搦手口

丸亀市立資料館

玄関先御門(御殿表門)
藩主居館の玄関先に在ったので玄関前御門ともいう。五門の堂々たる薬医門で、総欅造り、中央に両開板扉があり木割りも大きく、細部手法も江戸時代の特徴を示す遺構である。東方に続く堀は、切石積の石垣上に立ち東端しに開戸の潜りがある。
※現地石板より

番所長屋
御殿門の西に接して番所があり、その西方に長屋が矩折(かぎのてまがり)している。昭和43年解体修理の際、発見された板札によってお駕籠部屋にも使用されたことがわかった。随所に無双窓を開き、庇屋根付の広い出入口を作っている。その形式手法は、むしろ慶長ごろの創始の古いことは、現存建造物中で最古のものである。
※現地石板より







2019/5最終訪問
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香川県丸亀市一番丁
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