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丹波国 亀山城 [ KAMEYAMA CASTLE ]

城郭DATA -CASTLE DATA-

項目内容
ヨミカナカメヤマジョウ
別称亀宝城、亀岡城
スタンプ設置場所
曲輪配置
城郭種類平山城
築城者明智光秀
築城年1578年
廃城年1877年
主な城主明智氏、羽柴氏、石田氏、岡部氏
指定史跡未指定
標高115.5 m
城址碑あり
案内板あり
現存建造物なし
復元建造物なし
遺構あり
現状大本
駐車場大本参拝者駐車場
最寄り駅JR 亀岡駅


概要・現地案内板

丹波亀山城は、別名を亀宝城・霞城ともいい、織田信長の命により天正7年(1579年)ごろに、明智光秀によって築かれたお城です。
天正10年(1582年)に起きた本能寺の変で、明智光秀が13000の軍勢を率いて出発したのが、ここ丹波亀山城でした。
その後、築城の名手と呼ばれる藤堂高虎によって「天下普請」で近代的な城郭へと改築され、五重の層塔型の天守が築かれ、より実戦的で堅固なものになりました。
現在でも明智光秀が築いた当初の石垣が残り、当時の姿が偲ばれます。


城犬のおいど 攻城記録


駐車場


みろく会館


「丹波亀山城址エリア」拝観には拝観券(300円)が必要です。
【城址拝観時間】9時30分~16時まで
※受付は、15時30分までにお願いいたします。
拝観券は「みろく会館1階総合受付」にて取り扱っております。
※現地案内看板より

大本本部 神苑案内図


二ノ丸


内堀


天下普請の刻印


慶長15年(1610年)、江戸幕府が諸大名に命じた「天下普請」により城の大改修が行われました。
その際、藤堂高虎は今治城の用材を利用して5重5層の天守を献上しています。そして、ここで見られる石垣には、石材に各大名家の刻印が残されています。

これらの刻印は、17種類55ヶ所存在します。石材には他にも石を割る際に造られた矢穴も見ることができます。

内堀跡


万祥殿


手水舎


一ノ門跡


多門櫓跡


井戸


本丸入口


本丸は立入禁止となっている。

月見櫓跡


下から見上げることしか出来ませんが、かつてはこの石垣の上に月見櫓がありました。

本丸御殿玄関跡


本丸御殿跡


本丸上段


かつて、この階段の先に5重5層の天守がありました。現在は禁足地(立入禁止)となっているので、見学することは出来ません。

伊都能売観音座像


大安石・小安石


コノハナザクラ


南郷公園


山陰街道が通り、城下町が広がる亀山城の南側は、内堀、外堀、惣堀の三重の堀と御土居がめぐり、堅牢な構えを呈しています。一方、南郷公園の立地する北側の搦手は、外堀が一重にめぐらされているだけとなっています。これは、有事の際には、保津川の流れを塞き止めると、北側の水田は一気に大きな堀となるように考案されているためです。 

 南郷公園は、桜を中心として四季折々の花を楽しむことが出来る都市公園として整備され、亀岡光秀まつりを始め、様々なイベントが繰り広げられる都市空間です。
※現地看板より

城址碑


明智光秀公像と亀山城の鯱瓦


亀山城天守家棟にあった鯱瓦(嘉永5年造)は、明治11年頃の廃城により京都市 森川喜兵衛氏に払い下げられた。その後明治13年京都府医学校(現京都府立医大)の新築に際し寄贈され、講堂棟瓦の両端で異彩を放っていたという。一対のうち片方は破壊されたが、残りの一体は現在京都府立医科大学に収蔵されている。
 亀山城跡地を望むこの地に、市制施行40周年、クラブ創立25周年を記念し、数奇な運命を辿ったこの鯱瓦をブロンズ像として復元した。亀岡の歴史のモニュメントとして市民に末永く親しまれることを願うものである。

2025/11最終訪問


城郭周辺地図

京都府亀岡市荒塚町

大本参拝者駐車場までのGoogleMAP


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