城郭DATA -CASTLE DATA-
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 項目 | 内容 |
| ヨミカナ | クロイジョウ |
| 別称 | 保月城、保築城 |
| スタンプ設置場所 | 春日住民センター 08:30-22:00 |
| 曲輪配置 | 連郭式 |
| 城郭種類 | 山城 |
| 築城者 | 赤松貞範 |
| 築城年 | 建武年間 |
| 廃城年 | 1584年 |
| 主な城主 | 赤松氏、赤井氏、斎藤氏、堀尾氏、川勝氏 |
| 指定史跡 | 国指定 |
| 標高 | 356.5 m |
| 城址碑 | あり |
| 案内板 | あり |
| 現存建造物 | なし |
| 復元建造物 | なし |
| 遺構 | あり |
| 現状 | 史跡黒井城跡 |
| 駐車場 | 黒井城跡 無料駐車場 |
| 最寄り駅 | JR 黒井駅 |

概要・現地案内板
黒井城は、豪勇をうたわれた赤井(荻野)直正が城主で、戦国時代の丹波を代表する山城です。
赤井(荻野)直正は、自らを悪右衛門と名乗り、近隣の有力武将を従え、奥丹波三郡(氷上郡、天田郡、何鹿郡)を領し、 また度々但馬へ侵攻を続けました。
天下布武をめざす織田信長が、明智光秀に丹波平定を命じると、 この黒井城でも、明智の大軍と黒井勢との間に、二度にわたる激しい攻防戦がくり広げられました。
苛烈な戦国時代の遺構を、山中いたるところに残す黒井城跡は、貴重な『戦国の城』として国の史跡に指定されています。
※現地看板より
城犬のおいど 攻城記録
登城口広場
赤井(荻野)悪右衛門直正は、後屋城主赤井時家の次男として生まれ、幼名を才丸と言い、 当時朝日城に拠っていた土豪荻野十八人衆に迎えられて盟主となり、荻野姓を名乗りました。

その後、黒井城主となった直正は、黒井城の改修に手をつけ、 防御を固めると共に、その勢威を丹波一円に広げ、また但馬へも進出して、その勇猛ぶりは丹波の赤鬼と呼ばれました。 当時の名将十三人の内の一人にも数えられています。 天正四年(1576)、明智光秀の黒井城攻めでは、盟友であった八上城主波多野秀治と謀り、 機をみて双方から明智勢を挟み撃ちにし敗走させました。 後にこの作戦を「赤井の呼び込み戦法」と呼んでいます。 天正六年(1578)、反織田勢力の一翼を担った悪右衛門直正は病没。 内室は前関白近衛前久の娘か妹と伝えられ、夫妻の位牌は黒井の興禅寺に祀られています。
※現地看板より

明智光秀
第一回の黒井城攻略で、赤井、波多野勢の奇襲を受け敗走した明智光秀は、 再度の攻略の策として鐘ガ坂に金山城を築き、黒井城と八上城を分断。 ここを拠点にして八上城を落城させました。 天正七年(1579)、孤立した黒井城も間もなく落城。 明智光秀の丹波平定は、ここに終わりを告げました。 城下には、明智光秀が陣城とした茶臼山遺跡、水色桔梗の旗をなびかせた「旗立て」、軍兵が勢ぞろいした「太刀野」などの地名が残り、 明智勢黒井城攻めの名残りをとどめています。
※現地看板より

東曲輪跡

三の丸跡

2022/12最終訪問
城郭周辺地図
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