城郭DATA -CASTLE DATA-
| ヨミカナ | トビヤマジョウ |
| 別称 | なし |
| スタンプ設置場所 | ー |
| 曲輪配置 | 梯郭式 |
| 城郭種類 | 平山城 |
| 築城者 | 芳賀高俊 |
| 築城年 | 永仁年間 |
| 廃城年 | 1590年 |
| 主な城主 | 芳賀氏 |
| 指定史跡 | 国指定 |
| 標高 | 132.7 m |
| 城址碑 | あり |
| 案内板 | あり |
| 現存建造物 | なし |
| 復元建造物 | あり |
| 遺構 | あり |
| 現状 | 史跡飛山城址 |
| 駐車場 | とびやま歴史体験館駐車場(無料) |
| 最寄り駅 | 宇都宮ライトレール 飛山城跡駅 |

概要・現地案内板
飛山城は鎌倉時代末期の永仁年間(13世紀末)に芳賀高俊が主家の宇都宮城に近い当地に築城したと伝えられている。
芳賀氏は、天武天皇の子孫である清原氏の一族で、代々、芳賀郡一帯を治めていた豪族であったが、この飛山を居城としてからは姓を先祖の「清原」に改めたといわれている。
(宇都宮市編入以前の旧清原村という村名は、この清原氏にちなんだものである。)
この飛山城は、高俊以後、慶長2年(1597)豊臣秀吉の命により廃城となるまでの300年にわたり清原氏の居城であったといわれるが、その変遷については定かではない。
飛山城は、近世の天守・石垣等に代表される城と異なり、自然の地形を利用し、深い空堀と土塁を二重にめぐらし、外敵の侵入に備えた中世の平山城の様式を伝えている。
なお、城の周囲にめぐらされた内堀には、通路と思われる「土橋」があり、外堀に面した土塁には、数か所突出部がみられ「物見櫓」と考えられている。
この飛山城は、廃城以後約400年を経た今日まで往時の遺構をとどめているものとして全国的にも非常に高く評価されている。
※現地看板より
城犬のおいど 攻城記録
飛山城史跡公園

曲輪Ⅶ

木橋
調査により、ここに木橋があったことが判明しました。この場所は東にのびる古道と一直線に位置します。この道を降りていくと、芳賀氏の菩提寺である同慶寺に行くことができます。なお、木橋をわたった内側には大手門があったと考えられますが、調査で確認することができませんでした。
※現地説明板より

6号堀


桝形
この遺構は、木橋をわたって来た敵に対し攻撃をするために造られた防御施設です。調査では、溝跡が確認され、その深さをもとに土塁の高さを決めました。この土塁の上にはさらに柵が設けられていたものと考えられます。
※現地説明板より

門
調査により、ここに門があったことが判明しました。この門は、塀重門と呼ばれるタイプのもので、柱の土台には川原石を使用していました。また、土塁の上から、この門を支えるための柱穴が見つかっています。
※現地説明板より

5号堀


曲輪Ⅵ

4号堀

4号堀
この堀は、城を北と南に分け、北側部分の曲輪I~Vを防御する規模の大きなものです。ほぼ中央で鉤の手状に折れ曲がり、そこには土橋が設けられています。

右の写真は、土橋部分を北側から撮った写真ですが、手前の堀底に小さな畝状の掘り残しが見られます。これは、小田原を本拠とした後北条氏の城に良く見られる「堀障子」に似た施設と考えられます。
※現地説明板より


曲輪Ⅳ

掘立柱建物
この4棟の建物は、地面に穴を掘り、そこに柱を立てたものです。壁は土壁で、屋根が板を何枚も重ね合わせて葺き、その上に押さえとして石を置いた「石置板葺」と呼ばれるものです。主郭に入る木橋の前面に位置することから、城主を守る将兵の詰所と考えられます。
※現地説明板より

木橋
この木橋は2号堀を渡る施設です。橋の手前は、鉤の手状になっており、真っ直ぐ入れないよう工夫されています。この橋を渡って城の中心部に入ります。
※現地説明板より

曲輪Ⅲ

3号堀
この堀は、曲輪Ⅱを逆L字形に囲み防御しています。南東隅に突出部があり、北東隅には曲輪Ⅲとを結ぶ土橋があります。
※現地説明板より


曲輪Ⅰ

1号堀
この堀は、2号堀と接続させることにより曲輪Ⅰを逆L字形に囲み、城の一番北側を防御しています。
※現地説明板より

関東の富士見百景
飛山から見える富士山が、2005年11月、周辺の景観の保全や活用を通じて、美しい地域づくりの推進を目的とした、「関東富士見百景」に選定されました。空気の澄んだ秋から冬場の晴れた日には、この場所から鬼怒川の清流を眼下に、富士山を鑑賞することができます。
※現地説明板より


駐車場

2025/10最終訪問
城郭周辺地図
[ HOME ] [ 城郭データーベース ] [ 栃木県の城郭一覧 ]




