概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | 独立式 | 天守形式 | 層塔型 |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | あり(元:新御門、先:市内寺院延寿寺山門等) |
| 遺構 | 水堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。
概要
亀山城(かめやまじょう)は、京都府亀岡市荒塚町(内丸)に所在する亀岡盆地中央部、保津川(大堰川)南岸の微高地(標高約110メートル、比高約15メートル)に築かれた丹波亀山藩5万石余の本拠たる近世平山水城跡である。天正5年に織田信長の命を受けた明智光秀が丹波平定の拠点として築城した。慶長14年に徳川家康の天下普請により築城の名手・藤堂高虎が縄張を担当して大改修。本丸を中心に二の丸、三の丸を渦郭状に配し、外堀に保津川の水を引き入れた堅固な水城要塞が完成した。本丸には高虎設計による日本初の層塔型天守とされる五層五階の偉容を誇る天守がそびえ立った。明治の廃城令で建造物が解体され荒廃したが、大正期以降に宗教法人大本の聖地(天恩郷)として石垣が修復・保全された。光秀時代の野面積み石垣や天下普請期の打込接ぎ高石垣、内堀(南郷池)が良好に遺存している。
歴史的役割
丹波平定の軍事中枢および京都背後の西国街道・山陰街道を扼する地政学的最重要拠点として激動の戦国・近世史の結節点となった。天正10年(1582年)5月、明智光秀は本城を出陣して「敵は本能寺にあり」と叫び、主君・織田信長を討つ本能寺の変を敢行した歴史的策源地である。山崎の戦いで光秀が敗死した後は羽柴秀勝、小早川秀秋、前田玄以ら豊臣政権重臣が相次いで城主となった。関ヶ原合戦後の慶長14年(1609年)、徳川家康は西国大名への抑えとして譜代の岡部長盛を配し、西国15ヶ国の大名を動員した天下普請で城郭を大拡張。近世層塔型天守の祖形が確立された。寛延元年(1748年)以降は形原松平氏が8代にわたり城主を務めて明治維新に至った。本能寺の変の出撃拠点という戦国最大の転換点と、幕府による天下普請初期の近世築城技術の発展を如実に物語る。
見どころ
藤堂高虎が縄張を手掛け大本の手により積み直され往時の威風を留める「本丸天守台高石垣」および「明智光秀期の野面積み石垣」、明智光秀が本能寺へ向けて出陣した歴史の舞台「本丸跡(万祥殿・天恩郷構内)」、城郭南面の外堀の面影を色濃く残し親水公園として整備された「南郷池(外堀・水堀遺構)」、本丸・二の丸をめぐる「土塁」および「切岸」遺構、市内寺院の延寿寺に移築現存する「新御門(本丸新御門移築山門)」、城下に整備され近世の町割りを色濃く残す武家屋敷町や寺町景観、明智光秀の首塚が伝わる「谷性寺(光秀寺)」、JR亀岡駅前広場に建立された堂々たる「明智光秀公像」、亀山城址碑・解説案内板
ご当地グルメ

概要・現地案内板
丹波亀山城は、別名を亀宝城・霞城ともいい、織田信長の命により天正7年(1579年)ごろに、明智光秀によって築かれたお城です。
天正10年(1582年)に起きた本能寺の変で、明智光秀が13000の軍勢を率いて出発したのが、ここ丹波亀山城でした。
その後、築城の名手と呼ばれる藤堂高虎によって「天下普請」で近代的な城郭へと改築され、五重の層塔型の天守が築かれ、より実戦的で堅固なものになりました。
現在でも明智光秀が築いた当初の石垣が残り、当時の姿が偲ばれます。
城犬のおいど 攻城記録
駐車場

みろく会館
「丹波亀山城址エリア」拝観には拝観券(300円)が必要です。
【城址拝観時間】9時30分~16時まで
※受付は、15時30分までにお願いいたします。
拝観券は「みろく会館1階総合受付」にて取り扱っております。
※現地案内看板より

大本本部 神苑案内図

二ノ丸

内堀

天下普請の刻印
慶長15年(1610年)、江戸幕府が諸大名に命じた「天下普請」により城の大改修が行われました。
その際、藤堂高虎は今治城の用材を利用して5重5層の天守を献上しています。そして、ここで見られる石垣には、石材に各大名家の刻印が残されています。

これらの刻印は、17種類55ヶ所存在します。石材には他にも石を割る際に造られた矢穴も見ることができます。

内堀跡

万祥殿

手水舎



一ノ門跡


多門櫓跡

井戸


本丸入口
本丸は立入禁止となっている。

月見櫓跡
下から見上げることしか出来ませんが、かつてはこの石垣の上に月見櫓がありました。



本丸御殿玄関跡

本丸御殿跡

本丸上段
かつて、この階段の先に5重5層の天守がありました。現在は禁足地(立入禁止)となっているので、見学することは出来ません。

伊都能売観音座像

大安石・小安石



コノハナザクラ



南郷公園
山陰街道が通り、城下町が広がる亀山城の南側は、内堀、外堀、惣堀の三重の堀と御土居がめぐり、堅牢な構えを呈しています。一方、南郷公園の立地する北側の搦手は、外堀が一重にめぐらされているだけとなっています。これは、有事の際には、保津川の流れを塞き止めると、北側の水田は一気に大きな堀となるように考案されているためです。

南郷公園は、桜を中心として四季折々の花を楽しむことが出来る都市公園として整備され、亀岡光秀まつりを始め、様々なイベントが繰り広げられる都市空間です。
※現地看板より

城址碑

明智光秀公像と亀山城の鯱瓦
亀山城天守家棟にあった鯱瓦(嘉永5年造)は、明治11年頃の廃城により京都市 森川喜兵衛氏に払い下げられた。その後明治13年京都府医学校(現京都府立医大)の新築に際し寄贈され、講堂棟瓦の両端で異彩を放っていたという。一対のうち片方は破壊されたが、残りの一体は現在京都府立医科大学に収蔵されている。亀山城跡地を望むこの地に、市制施行40周年、クラブ創立25周年を記念し、数奇な運命を辿ったこの鯱瓦をブロンズ像として復元した。亀岡の歴史のモニュメントとして市民に末永く親しまれることを願うものである。

