概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 水堀あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
上高橋城は、福岡県三井郡大刀洗町大字上高橋の筑後平野北部に位置した平安時代中期から室町時代にかけての平地居館(平城)跡である。陣屋川および小石原川流域の肥沃な低湿平野に占地し、クリーク網を天然の堀(環濠)として利用した館跡であったとされる。大蔵春実の子孫が当地の地名をとって「高橋氏」を名乗り、下高橋の地へ本拠(高橋城・城下高橋城・現竈門神社境内一帯)を移すまで代々の居館として機能した。周辺は後世の耕地整理や住宅開発によって地上の土木遺構は失われているが、集落周辺をめぐるクリークや水路網にかつての館を囲んだ環濠の面影をとどめている。
歴史的役割
承平・天慶の乱において藤原純友の乱(939~941年)を鎮圧した功により、征西大将軍となった大蔵春実が朝廷より上高橋・下高橋・今・鵜木などの地を下賜され、その拠点として上高橋城を構えたことに始まると伝わる。春実の子孫は在地名より「高橋氏」を称し、筑後有力豪族として発展した。南北朝から室町時代にかけて、より防衛性や規模を拡張した南西隣の下高橋城へと居城を移転したため、本城としての役割を終えたとされる。その後、高橋氏は大友氏に従属し、高橋鑑種の代に弘治年間(1555~1558年)に筑前岩屋城へ転封となるまで、この一帯は高橋氏歴代の揺籃の地・采地として機能した。
見どころ
筑後平野の低湿地帯に発達したクリーク(環濠)の流路景観、下高橋の高橋城跡(竈門神社境内・高橋様宝篋印塔)へと連なる高橋氏発祥の歴史的町並み
ご当地グルメ
大刀洗レタス・野菜料理、馬刺し・馬肉料理、久留米ラーメン、筑後うどん、あまおうスイーツ