概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 水堀あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
高橋城(下高橋城)は、福岡県三井郡大刀洗町大字下高橋の下高橋竈門神社境内一帯に位置した中世平城(平地城館)である。陣屋川流域の沖積平野微高地に占地し、筑後国史の記録によると本丸は長さ約53間×幅約25間、二の丸は長さ約43間×幅約20間の規模を誇り、東・西・南に幅2間〜3間半の二重・三重の水堀を同心円・複郭状に巡らせていた。周辺には「木戸」「溝口」「屋敷」などの城館関連地名が残り、後世の圃場整備や宅地化を経た現在も神社東側・南側をめぐる水路に堀跡の輪郭をとどめている。境内には「高橋城跡」の解説案内板や城主一族の供養塔とされる石造宝篋印塔群(高橋様)が安置されている。
歴史的役割
平安中期の藤原純友の乱を鎮圧した大蔵春実の後裔が上高橋から下高橋へと拠点を移し、本格的な複郭平城として築いた居城である。南北朝期から戦国時代にかけて筑後平野北部に強固な勢力を築いた在地豪族・高橋氏歴代の主城として機能した。戦国期には大友宗麟の傘下に入り、武勇に優れた高橋三河守鑑種を輩出した。鑑種は大友氏の軍功により筑前岩屋城および宝満城を与えられて本拠を筑前へ移転したため、下高橋城は城郭としての主機能を終えたとされる。その後、永禄・元亀年間の大友・龍造寺・秋月氏らの激しい角逐の舞台となった筑後平野において、高橋氏発祥の由緒ある城館跡として記録され続けた。
見どころ
竈門神社境内周囲に残存する水堀(クリーク)の流路痕跡、境内に建つ高橋城跡解説案内板および石碑、高橋氏歴代の供養塔と伝わる石造宝篋印塔群(高橋様)、微高地をなす主郭境内
ご当地グルメ
大刀洗レタス・野菜料理、馬刺し・馬肉料理、久留米ラーメン、筑後うどん、あまおうスイーツ