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筑前国 福岡城 [ FUKUOKA CASTLE ]

城郭DATA -CASTLE DATA-

項目内容
ヨミカナフクオカジョウ
別称舞鶴城、石城
スタンプ設置場所福岡城むかし探訪館
曲輪配置梯郭式
城郭種類平山城
築城者黒田長政
築城年1601年
廃城年1871年
主な城主黒田氏
指定史跡国指定
標高28.8 m
城址碑あり
案内板あり
現存建造物あり
復元建造物あり
遺構あり
現状舞鶴公園
駐車場周辺の有料駐車場
最寄り駅福岡市地下鉄 大濠公園駅


概要・現地案内板

福岡城は、関ヶ原の合戦の功績によって徳川家康から筑前52万石を与えられた黒田長政によって、慶長6年(1601)から7年の歳月をかけて築城されました。
黒田長政とその父で築城の名手といわれた黒田官兵衛が手がけただけあり、敵との戦を想定した城のつくりになっています。
別名は舞鶴城。
海側から見た城の形が、空を舞う鶴の姿に似ていたとも言われています。
国指定史跡。

※現地案内板より


城犬のおいど 攻城記録


舞鶴公園第2駐車場


多門櫓


生捕櫓跡


南二の丸


多聞櫓


築城当時の位置に現存する多聞櫓(国指定重要文化財)は、城の南方に位置した南二の丸に建っています。南二の丸は出入り口が一つのみで、二の丸全体の中で独立した区画となっており、城の南方の防御を担っていました。
※現地説明板より

井戸


南二の丸北隅櫓


多聞櫓


多聞櫓は南北の隅櫓と中央の平櫓で構成されています。向かって左側の南隅櫓と平櫓は築城時からここに建っていたもので、嘉永6年(1853)に大きな改築を行って現在の姿になりました。平櫓は桁行30間の一重櫓切妻造で、高さ9mの石垣の上に建ち、石垣側には鉄砲狭間や石落としなどの防御施設が備わっています。

内部は16の部屋に分かれていて、出入り口と窓がつくられています。隅櫓は二重二階建切妻造で、南丸南側に本来あった平櫓と連結する構造でした。
※現地説明板より

南二の丸西隅櫓


桐の木坂


三の丸から西二の丸にあがるための2つの坂のうちの1つで、北側の松の木坂に対して桐の木坂と呼ばれます。
※現地説明板より

裏御門


特別な日に使用する表御門に対して、裏御門は、藩士たちが日常的に使用する門でした。門の左手には古時打櫓と呼ばれる櫓があり、時刻を知らせる太鼓が設置されていました。
※現地説明板より

鉄砲櫓跡


御武具櫓


ここは本丸の南側にあたり、南端には武具櫓がありました。武具櫓は、東西に3階建ての櫓、その間を2階建ての多聞櫓がつなぐ構造であり、南からの敵の来襲に備えた厳重な構えをしていました。黒田家伝来の武具などが納められていたことから武具櫓と呼ばれていたようです。
※現地説明板より

天守台


小天守台跡


小・中天守台


福岡城には大天守台の東側に、小・中天守を思わせる櫓が建てられていました。大天守台と小・中天守台を形成する石垣は、本丸を南北に分断した全国的にも珍しい構造になっており、南側からの敵の侵入を防ぐ狙いがあったと考えられます。
※現地説明板より

相御殿跡


井戸


天守台跡


鉄御門跡


埋門跡


天守台


ここから眺める高さは標高36mで、西側に広がる大濠公園を眼下にして、福岡タワーも望むことができます。近年、細川家の古文書から「福岡城の天守は一時期存在していたが取り壊された」という説が出ましたが、黒田家の古文書の中には天守の存在を確定する資料は残っておらず、天守の存在は今も謎のままです。
※現地説明板より

天守台からの眺望


本丸御殿


本丸御殿は、初代藩主長政が居所とし政務を執った場所であり、玄関だけでも32畳の広さがあった広大な御殿でした。二代藩主以降は、三の丸に新しい御殿を建てそちらで居所・政務を行うようになったため、この本丸御殿はもっぱら儀礼で使用されるようになります。
※現地説明板より

井戸


御時櫓跡


御祈念櫓跡


現在・・・


かつての御祈念櫓


福岡城祈念櫓は、建物が建つ石垣を修復するため、令和元年9月に解体しています。解体した櫓の柱や梁などの主要な部材は、別の場所で保管しています。
※福岡市経済観光文化局ホームページより

本丸表御門


二の丸から本丸へあがる地点には、櫓門形式の重圧な造りの本丸表御門がありました。黒田家の菩提寺である崇福寺の山門として、大正7年(1918)に移築され、現在もその遺構を見ることができます。日常的に使用される裏御門に対して、表御門は特別な日に使用されました。
※現地説明板より

二の丸跡


福岡城の二の丸は、大きく「二の丸」、「東二の丸」、「南二の丸」に分かれ現在地は東二の丸にあたります。現在は運動場(ラクビー場)になっている北側まで石垣があって、「二の丸御殿」が建っていたようです。その南側は貯水池となる「水の手」でした。

「東二の丸」から扇坂を抜けると、現在は梅の名所として知られる「二の丸」へと続きます。この扇坂の近辺に「お綱門」と呼ばれる門がありました。(扇坂御門か東御門か異なる門であるかは諸説あります)。柱に触れただけで熱病に冒されたり、夜中にうなされたりするといわれたその門には、恐ろしくも哀れな話が語り伝えられています。
※現地説明板より

扇坂・扇坂御門


東二の丸から西二の丸へ続く地点に、扇坂御門と呼ばれる門がありました。絵図から、この門の前には文字通り扇型の階段は、全国の城の中でも珍しい事例です。
※現地説明板より

東御門


東御門は、三の丸から東二の丸へと続く櫓門です。門を入ると右手に直角に曲がる階段があり、攻め手が簡単に攻められない構造になっています。三の丸には黒田24騎と呼ばれる重臣たちの屋敷がありました。
※現地説明板より

鴻臚館跡展示館


鴻臚館跡展示館では、発掘当時のまま残された遺構や出土品、復元建物などを展示しています。鴻臚館とは古代の外交使節で、唐や新羅の使節団や遣唐使等を迎えれたとされています。
※現地案内板より

福岡城むかし探訪館


日本100名城スタンプ設置場所


下之橋


2号堀


5号堀


下之橋


下之橋御門


福岡城は、福岡藩初代藩主黒田長政によって、慶長6年(1601)から7年をかけて築かれました。城内への門は、堀に掛る3つの橋、上之橋・下之橋・追廻橋にそれぞれあり、このうち下之橋を渡って入る門は文化2年(1805)に建てられましたが、明治時代に上層部を失い、長く一層のままでした。

平成12年(2000)に不審火によって被災したため、復旧に向けた調査研究を行い、同20年に二層櫓門として復原しました。門の上層部は、部材に残る痕跡・発掘調査成果・絵図・文献資料などにより、その規模、北側の下屋の様子、柱の立つ位置、外壁の漆喰壁などが明らかになりました。また直接の資料を欠く部分は、上之橋御門(上の橋大手門)の古写真や本丸表御門(現・崇福寺山門)などを参考にしました。

この復原は専門家で構成する「福岡城跡建造物等復原整備検討委員会」で検討されたものです。これとは異なった復原案も提案されましたが、現段階でより蓋然性が高いと判断された本案を採用しました。
※現地説明板より

(伝)潮見櫓


福岡城に50近くあった櫓の一つです。大正初期に浜の町の黒田別邸に移築され、昭和31年(1956)に再移築されました。潮見櫓の本来の位置は、現在の位置ではなく三の丸北西角であり、また、この建物は平成3年の調査の結果、潮見櫓ではなく、城内の別の櫓であると考えられています。
※現地説明板より

三の丸


黒田如水隠居地跡(御鷹屋敷跡)


牡丹・芍薬園は、黒田官兵衛(如水)が晩年を過ごしたとされる御鷹屋敷跡にあり、昭和55年(1980)に整備されました。牡丹・芍薬それぞれ20種、計約2000株の大輪の花々が4月から5月にかけて次々に満開を迎え、園内は甘く上品な香りが漂います。開花に合わせ花見台が設置されます。
※現地説明板より

旧母里太兵衛邸長屋門


この門は母里太兵衛友信(1556-1615)の屋敷の門として現在の天神2丁目にあったもので、昭和40年(1965)にこの場所に移築されました。母里太兵衛は黒田24騎の1人で、筑前入国後、領内の支城の一つで、現在の大隈城主になりました。福島正則から名槍日本号を飲み取った逸話は筑前今様(黒田節)で有名です。

長屋門とは、屋敷の周囲の長屋と門が一体化した形式で、この門は江戸時代の武家屋敷の長屋門の形態を良好にとどめており、昭和31年(1956)県指定文化財に指定されています。
※現地説明板より

名島門


この門は、天正15年(1587)小早川隆景が多々良川口の名島に築いた名島城の脇門で、慶長年間(1596-1614)黒田長政が居城を名島城から福岡城に移すとき、黒田24騎の一人である林掃部にさげ渡され、邸宅の門として使用されていたもので「名島ひけ」と呼ばれた名島城の数少ない遺構の一つです。

明治の中ごろ、長崎に移築されそうになったのを、当時の代議士によって買い戻され、天神の自宅の門として使用されていましたが、戦後ビルの建設に伴って現在地に移築されたものです。
※現地説明板より

土塁


2026/1最終訪問


城郭周辺地図

福岡県福岡市中央区城内

舞鶴公園第1駐車場までのGoogleMap
舞鶴公園第2駐車場までのGoogleMap
舞鶴公園第3駐車場までのGoogleMap


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