概要
佐伯城は、関ヶ原後に入封した毛利高政が八幡山(城山)に築いた近世山城。設計は安土城に関わった市田祐定、石垣は姫路城石垣の指揮で知られる羽山勘左衛門が担当したと伝わり、中世山城の曲輪構造と近世の高石垣技術が融合する点が大きな特色である。1617年の失火で本丸・天守が焼失、以後は麓の三の丸が藩政の中心となり、山上は宝永6年(1709)に天守を除き修復された。令和5年(2023)に国史跡指定。山上の廊下橋や二の丸虎口、本丸外曲輪北斜面の四段雛壇状石垣など、見どころが凝縮している。
城郭詳細データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ヨミカナ | サエキジョウ |
| 別名 | 鶴屋城、鶴ヶ城、鶴城、鶴谷城 |
| 所在地 | 大分県佐伯市大字鶴望 |
| 100名城スタンプ | 第194 佐伯市歴史資料館受付 |
| 城郭構造 | 連郭式山城 |
| 天守構造 | 独立式望楼型3重3階 |
| 築城者 | 毛利高政 |
| 主な城主 | 毛利氏 |
| 築城年 | 1602 |
| 廃城年 | 1871 |
| 城址碑 | あり |
| 案内板 | あり |
| 現存建造物 | 【現存】三の丸櫓門【移築】住吉御殿、お浜御殿、三府御門 |
| 再建建造物 | なし |
| 指定文化財 | 国指定 |
| 遺構 | 石垣、空堀、曲輪 |
| 現状 | 史跡佐伯城址 |
| 駐車場 | 佐伯市歴史資料館 駐車場(無料) |
| 最寄り駅 | JR 佐伯駅 |
城犬のおいど 攻城記録
佐伯城
佐伯城は、慶長6年(1601)日田から佐伯へ入部した佐伯藩初代藩主・毛利高政が新たな居城の建設を考え、番匠川沿いの水上交通に便利で、守り易く攻め難い地形を良しとした周囲約3km、高さ約140mの八幡山に4年の歳月をかけて築いた山城。

山頂城郭は本丸を中心に、西南に二の丸・西出丸、東北に北出丸と、鶴が翼を広げた姿を連想させ「鶴屋城」とも呼ばれた。今も残る石垣は、当時の威容を偲ぶことが出来る。
※現地案内看板より

三の丸櫓門
寛永14年(1637)三代藩主・毛利高直は、三の丸御殿を創建し、藩政の場を山頂から麓の三の丸に移して櫓門を設けた。藩政時代に2度立て直しされ、現在の櫓門は天保3年(1832)に建てられたもの。
※現地案内板より

佐伯城三ノ丸櫓門
この櫓門は、三代藩主毛利高尚の時に、藩主の居館を山頂から三の丸に移した寛永14年(1637年)に藩庁の正門として創建された。佐伯城の城郭建築物として唯一現存する遺構として城下町佐伯の面影を伝えている。
※現地看板より


三の丸

佐伯文庫跡

御下櫓(公衆お手洗い)


鳥観図

城山登山道案内図

毛利神社と鳥居
昭和3年(1928)に山頂の天守台跡に毛利神社が創建された。祭神は藩祖・毛利高政と八代藩主・毛利高標。社殿は太平洋戦争中、昭和20年4月26日の空襲で破壊されたが、城山麓の鳥居は現存する。
※現地案内板より

佐伯城跡
佐伯城は、慶長6年(1601)に豊後の国南部の佐伯へ入部した、毛利高政が築いた近世城郭です。番匠川河口の八幡山(現城山・標高144m)の山頂部に本丸、二の丸等の曲輪群、山麓に三の丸を配置し、城道が両者を結びます。

また、山全体を保護するため、雨水や地下水の排水・調整機能を担った雄池・雌池を造成し、江戸時代中期には曲輪の斜面を守る雛壇状石垣を築造しました。近世初頭に、それまでの城郭構造と築城技術を融合して築かれ、山体全体を維持してきた工夫が残る城郭として、我が国の近世城郭のあり方を知る上で貴重な遺跡です。
※現地看板より

翠明の道(登り口)
かなりの急勾配で階段の段差もあるため、足元に十分気を付け休憩しながら散策を。尾根の上には、藩主の涼み場と伝わる翠明台の跡がある。
※現地案内板より


登城の道
藩政時代より続く、当時に実際使用されたままの勾配のあるコース。中腹からは昔ながらの景観を見られる。
※現地案内板より






大門跡

西の丸


西の丸二重櫓跡


西の丸番所跡

二の丸虎口(渡櫓跡)
虎口とは城郭における出入り口のことで、二の丸では敵の侵入を阻むために通路を屈曲させ、幅を挟めている。当時は渡櫓と門があり、現在も門の礎石をみることができる。
※現地案内板より





廊下橋
本来、本丸に入るには二の丸を通って廊下橋を渡り、幅の狭い階段を登らなくてはならなかった。有事の際には廊下橋を落して敵の侵入を防ぐといわれ、堅固で実践的と評される佐伯城を象徴する施設である。
※現地案内板より




本丸外曲輪




本丸跡

本丸外曲輪二重櫓跡
釣りバカ日誌19ロケ地
佐伯市街地と佐伯湾を望むシーン

鐘櫓跡

天守台跡
佐伯城には三重三階で南向きの天守があったと伝わっている。しかし、築城後程なく失われ、再建されることもなかったため、詳細は不明。現在は古文書の中に伝承として記されるのみである。
※現地案内板より



冠水門


本丸外曲輪櫓跡


水の手門跡

北の丸


北の丸二重櫓跡





独歩碑の道
緩やかで登りやすい、散策に適したコース。山頂付近には、捨曲輪の一つが見られる。
※現地案内看板より


捨曲輪


雛壇状石垣
石垣の前面に別の石垣を重ねて4段の階段状とした非常に大規模なものであり、それぞれの段の天端面まで石垣を築いている。また、一般的な城郭の石垣と異なり、隅角部が丸くカーブを描くように積まれている点も大きな特徴。

享保19年(1734)に崩れた斜面の復旧のために築かれたことが明らかになっており、治水工事の設計思想を城郭の石垣に取り入れたものであると考えられる。
※現地案内板より





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