100名城・続100名城
-
別称
御飯山城、老ノ山城、笈の山城、武内城
城址碑
なし
案内板
あり
現存遺構
なし
復元遺構
なし
標高
44m
最終訪問日
—
概要スペック
種別城郭
縄張山城
曲輪配置単郭式
築城者不明
築城年鎌倉時代後期
廃城年天正14年(1586年)頃
主な城主一万田氏、武内氏
指定文化財指定なし
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | なし | ||
赤色立体地図・微地形判読
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成
※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。
概要
御飯ノ山城(老ノ山城)は、香椎宮東隣の丘陵地(標高約90メートル)に築かれていた中世山城である。山頂最高所を削平した単郭構造の主郭を配し、北および東側の尾根筋を堀切で遮断、急斜面には複数条の竪堀や鈎状に屈折した虎口通路を設けた堅固な要塞であった。南麓平坦面には屋敷跡(里城)が展開していたことが確認されている。平成期の大規模な住宅団地造成(香椎台地区)に伴う発掘調査を経て山体ごと削平され遺構は消滅したが、現在は「香椎台おいの山公園」内に発掘調査成果を示す案内板や城砦のモニュメントが整備されている。
歴史的役割
立花山城の南西側前面を守る重要な支城・出城として機能した。鎌倉時代末期から南北朝期には多々良浜の戦いに際して足利尊氏・直義兄弟が当山に登って戦況を望見した伝承が残る。戦国期には大友氏配下の立花氏に属し、一万田弾正が城主を務めたとされる。天正14年(1586年)の島津氏による筑前侵攻(立花山城攻防戦)では、香椎宮大宮司・武内氏永の長男である武内氏続が当城に籠もり、立花宗茂を救援して島津軍を相手に善戦したと伝わる。香椎宮および博多湾沿岸部と立花山城を結ぶ交通・軍事防衛ライン上の要衝であった。
見どころ
香椎台おいの山公園内の発掘調査解説案内板・モニュメント、香椎宮境内、不老水(御飯の水)
ご当地グルメ
博多ラーメン、博多もつ鍋、辛子明太子、博多水炊き、ごまさば