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100名城・続100名城 -
別称 畑山城、畑城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 156.6m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者香月氏
築城年平安時代末期
廃城年天正15年(1587年)
主な城主香月氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:156.6m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

畑城(畑山城)は、北九州市八幡西区大字畑の畑貯水池南側にそびえる標高約229メートルの畑山頂部に築かれた中世山城跡である。遠賀郡南部の香月荘を治めた在地武士・香月氏が、平素の居館(香月本村)に対する有事の詰城として構えた要害であった。山頂に主郭(本丸)を置き、一段下がった場所に二の丸(二郭)や帯曲輪を配する縄張であったが、昭和以降の山頂西側砕石場による採石工事に伴い本丸部分は削平・消滅した。現在は二の丸周辺の削平地と切岸が残存し、二郭の一段高くなった壇上に石祠2基が祀られている。登城口となる県道61号沿いには「畑城跡」の木製標柱および解説板が設置されている。

⚔️ 歴史的役割

平安末期の源平合戦期に、平家に与した山鹿秀遠の伯父にあたる香月秀則をはじめとする香月氏代々の詰城として築かれたと伝わる。鎌倉時代には承久の乱での所領没収と回復を経て、南北朝期には香月則道が少弐氏や南朝の懐良親王方と関わりながら領地を維持した。室町時代中期には大内義興の支援を得た香月興則が畑城に拠り、戦国期には大友氏や秋月氏の勢力争いの狭間で香月荘の独立を保った。天正14〜15年の豊臣秀吉による九州征伐に際し、秋月方に同調した城主・香月孝清が所領没収・植木へ蟄居処分となったことで主を失い、廃城となった。江戸時代、香月氏は福岡藩の大庄屋として存続した。

👀 見どころ

二の丸(二郭)に残る削平地と切岸遺構、二の丸壇上に祀られた2基の石祠、県道61号沿い登山口に立つ城址標柱と解説案内板、採石によって切り取られた断崖と畑貯水池を見下ろす山頂からの眺望

🍲 ご当地グルメ

八幡ぎょうざ、北九州ラーメン、小倉焼うどん、戸畑ちゃんぽん、くろがね堅パン


おいど攻城記録


🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

筑豊電気鉄道楠橋駅から車・タクシーで約10分、またはJR黒崎駅から西鉄バス香月方面行き等で「香月営業所」下車、タクシーで約10分(県道61号畑貯水池南側の登城口から二郭まで山道徒歩約10分)

車でのアクセス

九州自動車道 八幡ICから県道61号小倉中間線経由で東へ車で約10分、または北九州都市高速4号線 馬場出入口から約12分

駐車場

有(畑貯水池南側駐車場・公衆トイレ前、無料約15台)

📍 周辺地図

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