概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
畑城(畑山城)は、北九州市八幡西区大字畑の畑貯水池南側にそびえる標高約229メートルの畑山頂部に築かれた中世山城跡である。遠賀郡南部の香月荘を治めた在地武士・香月氏が、平素の居館(香月本村)に対する有事の詰城として構えた要害であった。山頂に主郭(本丸)を置き、一段下がった場所に二の丸(二郭)や帯曲輪を配する縄張であったが、昭和以降の山頂西側砕石場による採石工事に伴い本丸部分は削平・消滅した。現在は二の丸周辺の削平地と切岸が残存し、二郭の一段高くなった壇上に石祠2基が祀られている。登城口となる県道61号沿いには「畑城跡」の木製標柱および解説板が設置されている。
歴史的役割
平安末期の源平合戦期に、平家に与した山鹿秀遠の伯父にあたる香月秀則をはじめとする香月氏代々の詰城として築かれたと伝わる。鎌倉時代には承久の乱での所領没収と回復を経て、南北朝期には香月則道が少弐氏や南朝の懐良親王方と関わりながら領地を維持した。室町時代中期には大内義興の支援を得た香月興則が畑城に拠り、戦国期には大友氏や秋月氏の勢力争いの狭間で香月荘の独立を保った。天正14〜15年の豊臣秀吉による九州征伐に際し、秋月方に同調した城主・香月孝清が所領没収・植木へ蟄居処分となったことで主を失い、廃城となった。江戸時代、香月氏は福岡藩の大庄屋として存続した。
見どころ
二の丸(二郭)に残る削平地と切岸遺構、二の丸壇上に祀られた2基の石祠、県道61号沿い登山口に立つ城址標柱と解説案内板、採石によって切り取られた断崖と畑貯水池を見下ろす山頂からの眺望
ご当地グルメ
八幡ぎょうざ、北九州ラーメン、小倉焼うどん、戸畑ちゃんぽん、くろがね堅パン