概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
大三ヶ岳城(大三岳城)は、北九州市小倉南区大字辻三の北九州霊園南西方、標高約414メートルの急峻な大三岳山頂および尾根筋に築かれた中世山城跡である。南側の谷を挟んで長野氏一族の小三岳城(三岳城)と向かい合い、企救郡南部から筑前国境を扼する要衝に占地する。東西約650メートルに及ぶ広大な城域を有し、主郭は山頂東側の平坦地に比定される。尾根筋の要所には規模の大きな二重堀切が穿たれ、東端部にも小堀切を配するほか、自然の急崖と削平段を巧みに組み合わせた連郭状の縄張を形成している。北九州市の埋蔵文化財包蔵地台帳に中世山城遺跡として登載されており、谷を挟んだ北側尾根の毛利方「吉川城陣城群」と対峙する実戦遺構をとどめる。
歴史的役割
鎌倉時代の弘安年間に、企救郡一帯に勢力を張った有力国人・豊前長野氏の長野種盛によって築かれたと伝えられる。長野氏は平康盛の後裔とされ、長野城を本拠としつつ当地の大三岳城・小三岳城を重要拠点として防衛網を敷いた。戦国時代後期、長野氏が大友氏に従属したため、永禄11年(1568年)に毛利元就が派遣した吉川元春・小早川隆景率いる毛利軍の大軍が来襲。毛利方は北の尾根上に吉川城陣城群(向城)を築いて大三ヶ岳城・小三岳城を厳重に包囲・攻撃した。激戦の末に長野氏は開城降伏した。その後大友方の反攻により奪還されるなど関門・豊前攻防戦の激戦地となったが、天正15年(1587年)の豊臣秀吉による九州平定後、小早川隆景の筑前入封に伴い廃城となった。
見どころ
尾根筋を厳重に断ち切る見事な二重堀切遺構、山頂主郭周辺の削平段および急峻な切岸地形、谷を挟んで対峙する小三岳城との複合山城景観、北側尾根に展開する毛利軍の吉川陣城群と向き合う実戦的対陣地割り、山頂からの眺望
ご当地グルメ
小倉焼うどん、小倉発祥焼きカレー、門司港ちゃんらー、戸畑ちゃんぽん、ぬかみそだき