概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | なし | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
浦ノ城(浦城・太宰府城)は、福岡県太宰府市連歌屋二丁目(太宰府天満宮西方の御笠川西岸)に位置した中世平山城(居館・政庁的館城)跡である。かつて四王寺山山麓から南東へ派生するジョウセン山・ナラコ山周辺の丘陵(標高約80メートル)上に占地し、御笠川と急峻な崖面を天然の堀・障壁として利用した。昭和44年(1969年)の宅地開発に伴う発掘調査により、掘立柱建物跡や溝・土坑群、中世土師器・陶磁器等が検出された。現在は一帯が住宅地として開発され地上の明瞭な城郭遺構は消滅しているが、街区内の「浦の城公園」に城跡碑および太宰府市設置の解説板が建てられ、往時の存在を伝えている。
歴史的役割
鎌倉中期の弘安5年(1282年)、鎮西奉行・太宰少弐を務めた少弐経資によって築かれたとされる。元寇(文永・弘安の役)で前線司令官として大功を立てた少弐氏に対し、幕府が恩賞および鎮西探題設置に伴う権限調整の一環として築かせた政庁的居館と位置づけられる。少弐氏の詰城である有智山城に対し、平時の政治・行政機能および太宰府天満宮支配の拠点として重きをなした。建武3年(1336年)に足利尊氏が九州へ下向した際には少弐頼尚が当城背後の坊に尊氏を迎え入れたほか、南朝方の尊良親王や懐良親王らも関与するなど南北朝の内乱における戦略拠点となった。室町期以降、少弐氏の退潮に伴い役割を終えた。
見どころ
住宅街の一角にある「浦の城公園」内に佇む城跡碑および太宰府市設置の史跡解説板、御笠川に架かる「浦の城橋」をはじめ地域に残る城館ゆかりの地名、御笠川沿いから四王寺山山麓へと立ち上がる中世館城の立地段丘地形、太宰府天満宮・参道界隈に隣接する歴史的風情
ご当地グルメ
太宰府梅ヶ枝餅、太宰府八ちゃんラーメン、博多もつ鍋、水炊き、辛子明太子