概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
阿志岐山城は、福岡県筑紫野市大字阿志岐にそびえる宮地岳(標高338.9メートル)の北西山腹から中腹にかけて築かれた飛鳥時代後半(7世紀後半)の古代山城跡である。大宰府政庁の東南東約5キロメートルに占地し、平成11年(1999年)の調査で確認された。谷筋や斜面を取り巻くように総延長約1.34〜1.4キロメートルの版築土塁や列石(切石遺構)、石塁、谷部の水門遺構、城門跡と推定される開口部が検出されている。神籠石系山城に共通する精緻な加工切石を基底に並べる高度な石工技術が用いられている一方、山頂部まで土塁が完周していないことから築造途中で中止された可能性も指摘されている。古代国家の対外防衛体制を解明する上で極めて重要と評価され、平成23年(2011年)に国の史跡に指定された。
歴史的役割
白村江の戦い(663年)の敗北を契機に、ヤマト政権(中大兄皇子/天智天皇)が大宰府および九州北部防衛のために築造した古代防衛ラインの一環とされる。大宰府防衛の中核である大野城・水城・基肄城などと密接に連動し、有明海方面や筑後川流域から御笠川流域へ抜ける南東側の侵入路を抑え、古代幹線道路(蘆城駅家周辺)を防衛する役割を担ったと考えられる。同時期に計画・着工されたものの、唐や新羅による日本本土侵攻の脅威が薄れたことや大宰府防衛網の重点再編に伴い、全山を取り囲む完成を見ないまま工事が中止・放棄されたと推測されている。文献史料に城名の記載がない「文献に現れない古代山城」の一つであり、7世紀後半の緊迫した東アジア情勢と古代日本の国防計画の変遷を如実に示す。
見どころ
土塁の基底部に直方体の切石を整然と並べた神籠石様式の列石遺構、斜面や谷部に良好に残る版築工法の古代土塁および石塁、谷部の水流を処理するために精巧に構築された水門遺構、城門跡と推測される開口部、宮地岳北麓の円徳寺周辺や大宰府南東部を見渡す古代要塞の山腹景観
ご当地グルメ
二日市温泉通り名物ちゃんぽん、太宰府梅ヶ枝餅、筑紫野の地酒、博多ラーメン、水炊き