概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。
概要
飯盛古城(飯盛城)は、福岡県筑紫野市大字武蔵の天拝山(標高258m)東側中腹、標高約150メートル(比高約90メートル)の支尾根頂部に築かれた戦国時代の山城(出城・砦)跡である。山頂の天判山城(天拝山城)と山麓の武蔵寺・二日市温泉街の中間に占地し、博多・太宰府方面から筑後方面へ通じる古代・中世の幹線交通路を真下に見下ろす。山頂本城よりも削平地や土塁の遺存状態が明瞭で、東西に細長い主郭の周囲に帯曲輪が巡り、背後の天拝山山頂へと続く西側尾根筋を遮断する堀切、斜面を切落とした切岸、主郭縁辺部の土塁状の高まりが良好に残る。筑紫野市および福岡県の遺跡地図・埋蔵文化財包蔵地台帳に中世山城遺跡として登載されている。
歴史的役割
筑前南部から肥前東部にかけて勢力を誇った国人領主・筑紫氏によって、天拝山城の本城機能を補完する前衛出城・監視拠点として築かれた。平野部からの直登ルートを扼し、天拝山本城へ迫る敵軍を迎え撃つ迎撃拠点として機能した。天正年間には筑紫広門の重臣である帆足氏が天拝山城とともに防備を固めた。天正14年(1586年)7月の島津軍による筑前侵攻に際しては、岩屋城や勝尾城への進路を確保しようとする島津方の攻撃対象となり、激戦の末に落城したとされる。豊臣秀吉の九州平定を経て筑紫氏が筑後国上妻郡・山下城へ転封となったことに伴い、天拝山本城とともに役目を終えて廃城となった。
見どころ
主郭背後の天拝山頂側尾根を遮断する明瞭な堀切遺構、東西に細長く造成された主郭平坦面および周囲を取り巻く急峻な切岸、主郭縁辺部に遺存する土塁状の高まり、山頂本城(天判山城)や武蔵寺と連動する複郭要塞網の縄張構造、中腹尾根上から二日市温泉街や筑紫野市街・宝満山方面を見渡す眺望
ご当地グルメ
二日市温泉通り名物ちゃんぽん、太宰府梅ヶ枝餅、筑紫野の地酒、博多ラーメン、水炊き