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100名城・続100名城 -
別称 不動城、牛頭城、牛頸不動城、牛頸山城
城址碑 なし
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 93.6m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者奈良原高助
築城年室町時代
廃城年天正15年(1587年)
主な城主奈良原氏、秋月氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:93.6m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

牛頸城(不動城)は、福岡県大野城市平野台一丁目(旧・大字牛頸)に位置する標高約80メートル(比高約30〜40メートル)の「城山」山頂部に築かれた室町・戦国時代の山城跡である。牛頸川上流沿いの谷口・平野部を見下ろす独立小山稜に占地する。山頂の主郭を中心に南北へ延びる尾根上に曲輪を配し、尾根筋を断ち切る堀切や斜面の切岸、土塁状の高まりが残る。南側山麓一帯は平野台の住宅地や平野台さくら公園として開発され一部改変を受けているが、東側の県道沿いに大野城市設置の解説案内板が建てられている。牛頸地区一帯は古代日本三大窯業地の一つ「牛頸須恵器窯跡群」の中心地としても名高く、中世には谷筋の交通路を監視する要害であった。

⚔️ 歴史的役割

室町時代に筑前の有力大名・秋月氏の家臣(旗本)である奈良原刑部少輔高助によって築城・入城されたと伝わる。その後、子の奈良原兵庫助高政が城主となり、秋月氏の北西前線拠点として近隣の原田氏や筑紫氏、大友方勢力に対する防衛・監視網を担った。天正14〜15年(1586〜1587年)の豊臣秀吉による九州平定に際し、島津方に与した秋月種実に従い秋月方の先鋒として激戦に加わったが、秀吉軍の圧倒的兵力の前に落城した。城主の高政ら城の上層部は切腹して果てたと伝えられ、牛頸ダム下流の井手の丘(大津寺跡)に城主主従の墓碑が手厚く祀られている。九州平定に伴う秋月氏の日向高鍋への転封により廃城となった。

👀 見どころ

城山山頂部に残る主郭平坦面および周囲の切岸地形、尾根筋を遮断する堀切および空堀痕跡、県道沿い(平野台さくら公園下)に設置された不動城(牛頸城)の解説案内板、近隣の平野神社や牛頸須恵器窯跡群と重なる古代中世の歴史的景観、城山頂部から牛頸平野・大野城市街地を見渡す眺望

🍲 ご当地グルメ

鶏の唐揚げ(大野城市ご当地グルメ)、博多ラーメン、水炊き、辛子明太子、もつ鍋


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(21城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

西鉄天神大牟田線下大利駅またはJR鹿児島本線大野城駅から西鉄バス(平野ハイツ・月の浦方面行き)で約15分「平野台さくら公園前」下車、城山登り口まで徒歩約3分、主郭まで徒歩約5分

車でのアクセス

九州自動車道 太宰府ICから国道3号バイパスおよび県道505号・県道56号経由で南へ車で約15分、または福岡都市高速環状線 水城出入口から約15分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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