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100名城・続100名城 -
別称 米かみ城、二日市城、米噛砦、米噛城跡
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 70.5m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張平山城
曲輪配置連郭式
築城者筑紫氏
築城年戦国時代
廃城年天正14年(1586年)頃
主な城主筑紫氏、大友氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:70.5m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

米噛城(こめかみじょう)は、福岡県筑紫野市二日市北七丁目から六丁目にかけて広がる標高約50~60メートル(比高約25メートル)の丘陵頂部・台地平坦面に築かれた戦国時代の平山城跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や筑紫野市埋蔵文化財包蔵地台帳に登載されている。天拝山系から東方の二日市低地平野部へ向けて突き出た舌状台地の先端・尾根筋に占地し、主郭を中心に段状の曲輪が連郭式に配されていた。台地基部からの敵の侵入を遮断する空堀・堀切や切岸加工、土塁状の高まりが構築されていた。現在は二日市北の閑静な住宅街や果樹園・雑木林として開発が進み、地表面の明瞭な遺構の多くは改変・削平を受けているものの、微高地をなす台地地形や周囲の急傾斜な段差に中世城館の立地要害性を留めている。高尾川および鷺田川水系を眼下に抑え、古代大宰府政庁南方の街道筋を監視する位置にあった。

⚔️ 歴史的役割

筑前・肥前国境に勢力を張った有力国衆・筑紫氏(筑紫広門)の防衛ネットワークを構成する前哨拠点・支城の一つとされる。二日市一帯は、豊後大友氏の有力重臣・高橋紹運が守る岩屋城・宝満山城と、筑紫氏が本拠とする勝尾城や鷹取山城が激しく対峙した最前線地帯にあたる。米噛城は、二日市温泉街や博多・太宰府と筑紫平野・肥前を結ぶ主要街道(古代官道・長崎街道の前身ルート)を直接監視・管制する軍事的重要拠点を担った。天正13年(1585年)から天正14年にかけての島津軍による岩屋城総攻撃や大友・筑紫・秋月各勢力による激しい攻防戦の中で前線監視・警戒にあたったが、天正15年(1587年)の豊臣秀吉による九州平定および領主層の再編に伴い、役目を終えて自然廃城となったと推測される。

👀 見どころ

二日市市街地を見下ろす標高約50~60mの舌状台地微高地地形、住宅地周縁や傾斜面に確認できる切岸状の高低差段差、台地基部との境界部に認められる堀切・空堀の痕跡、大宰府政庁跡の南面および古代交通路(官道)を眼下に押さえる戦略的立地景観、城跡西側から仰ぎ見る天拝山(堂ノ山砦・高城)および北東方の四王寺山(岩屋城跡)・宝満山を望む眺望

🍲 ご当地グルメ

二日市温泉名物料理、太宰府名物梅ヶ枝餅、博多ラーメン、筑紫野ご当地スイーツ、鶏すき(筑前郷土料理)


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(41城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

西鉄天神大牟田線西鉄二日市駅西口から徒歩約10分、またはJR鹿児島本線二日市駅から徒歩約15分(二日市北七丁目住宅街・二日市八幡宮西側の丘陵地一帯)

車でのアクセス

九州自動車道 筑紫野ICから県道31号バイパス経由で北へ車で約10分、または太宰府ICから国道3号バイパス経由で南へ車で約10分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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