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100名城・続100名城 -
別称 天が城、阿志岐天ヶ城、天山城、天ヶ城跡
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 213.8m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別砦
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者不明
築城年戦国時代
廃城年天正年間
主な城主大友氏、秋月氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:213.8m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

天ヶ城(あまがじょう)は、福岡県筑紫野市大字阿志岐の中阿志岐集落南東、宮地岳(標高338.8メートル)から北西方向へと派生する標高約210メートル(比高約130メートル)の尾根頂部に築かれた中世・戦国時代の山城(砦)跡である。『福岡県の中近世城館跡I~IIIの補遺』や公的遺跡資料に登載されている。主郭部を中心に尾根筋に沿って平坦な削平曲輪が連郭状に配されている。東側の尾根筋には敵の侵攻を遮断する堀切および竪堀が良好に残存し、曲輪縁辺部には切岸加工面や土塁痕跡が認められる。北東約700メートルには国史跡・阿志岐山城跡(古代山城跡)が位置し、宝満川水系中流域の平野部や大宰府と筑豊・朝倉方面を結ぶ古代・中世の山間交通路を眼下に望む要衝に占地する。

⚔️ 歴史的役割

築城年代や築城者の詳細は未詳であるが、大宰府の岩屋城・宝満山城に拠る豊後大友氏(高橋紹運)勢力と、秋月城を本拠として勢力を拡大した秋月種実勢力が激しく境目を争った戦国期の軍事的前線砦・哨戒拠点として機能した。『筑前国続風土記附録』天山村の項などにも関連地名が散見され、近隣の古代山城遺構(阿志岐山城・宮地岳)の山塊を利用しつつ、中阿志岐登山口周辺の街道筋や谷筋からの敵軍進出を警戒・監視する役割を果たした。天正年間の大友・秋月両軍の衝突、および天正14年(1586年)の島津軍による岩屋城・宝満山城攻防戦の過程で前線警戒にあたったが、天正15年の豊臣秀吉による九州平定に伴い役目を終えて自然廃城となったと推測される。

👀 見どころ

主郭東側の尾根続きを峻厳に遮断する堀切および竪堀遺構、尾根筋の地形に沿って段状に造成された連郭式の平坦削平曲輪群、曲輪周囲を切り落とした切岸加工面および土塁痕跡、北東至近に位置する国史跡・阿志岐山城跡(古代山城)と連動する宮地岳北西尾根の要害地形、標高約210mの主郭部から阿志岐・吉木平野および大宰府・宝満山・筑豊方面の山並みを見渡す哨戒拠点ならではの眺望景観

🍲 ご当地グルメ

二日市温泉名物料理、太宰府名物梅ヶ枝餅、博多ラーメン、筑紫野ご当地スイーツ、鶏すき(筑前郷土料理)


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(41城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

西鉄天神大牟田線朝倉街道駅またはJR筑豊本線(原田線)筑前山家駅から西鉄バス(吉木・杷木方面行き等)で「中阿志岐」下車、中阿志岐登山口より宮地岳北西尾根の山道・踏み跡を経て山頂・主郭部まで徒歩約35分(朝倉街道駅からバス・徒歩約45分)

車でのアクセス

九州自動車道 筑紫野ICから県道31号バイパスおよび県道・国道200号経由で東へ車で約15分、または太宰府ICから車で約20分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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