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100名城・続100名城 -
別称 砥上城、砥上砦、砥上山城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 110.8m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者砥上種平
築城年建久年間(1190~1199年)頃
廃城年天正15年(1587年)
主な城主砥上氏、秋月氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:110.8m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

砥上山城は、福岡県朝倉郡筑前町砥上の砥上岳(標高496メートル)山頂部および派生尾根筋に築かれた鎌倉・戦国時代の山城跡である。福岡県の中近世城館跡台帳や筑前町遺跡台帳に登載されている。山頂平坦面を中心に本丸・二の丸・三の丸などの主要曲輪群が尾根筋に沿って連郭式に階段状配置されている。曲輪周囲は急峻な切岸で厳重に囲繞され、尾根続きの要所には敵の進軍を遮断する堀切や空堀、土塁が明瞭に残存する。筑後川水系上流の筑前平野(朝倉平野・夜須平野)と太宰府・筑紫野方面、さらに飯塚・嘉穂方面を結ぶ交通の交差結節点を真下に見下ろす天険の山塊に占地し、筑前南部から筑後・豊後方面の動向を広角に監視・統制する防衛・哨戒要塞として機能した。

⚔️ 歴史的役割

鎌倉幕府創業期の建久年間に原田種直の弟・砥上太郎種平がこの地に拠点を置いたことに始まると伝わる。南北朝から戦国時代にかけては朝倉・夜須地方を本拠とする秋月氏の有力支城・軍事拠点として組み込まれた。宝満山・岩屋城に拠る豊後大友氏(高橋紹運)や筑前・肥前国境の筑紫氏、筑後の諸勢力に対抗する秋月種実の前線要塞として度々軍事的緊張下に置かれ、筑前南部攻防の要衝を担った。天正14年(1586年)の島津軍による岩屋城・宝満山城大攻防戦に際しても秋月氏方の防衛拠点として連動したが、天正15年の豊臣秀吉による九州平定および秋月氏の日向高鍋への転封に伴い、役割を終えて廃城となった。

👀 見どころ

砥上岳山頂に造成された本丸平坦削平地および山頂に建つ城址碑・解説案内板、主郭周囲を取り巻く高低差の大きい急峻な切岸加工面、尾根筋を遮断する堀切および空堀遺構、本丸から二の丸・三の丸へと連なる連郭式の段曲輪群、標高496mの山頂部から筑紫平野・朝倉盆地・耳納連山・宝満山系・古処山(秋月城方面)を360度見晴らす雄大な大パノラマ眺望

🍲 ご当地グルメ

筑前クロダマル(黒大豆)料理、筑前町ご当地ラーメン、朝倉蒸し雑煮、筑前町産巨峰・梨スイーツ、鶏すき(筑前郷土料理)


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(48城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

甘木鉄道山隈駅または西太刀洗駅から車・タクシーで約15分、またはJR筑豊本線(原田線)筑前山家駅からタクシーで約12分、砥上山自然公園登山口駐車場より遊歩道経由で山頂本丸まで登山道徒歩約25分

車でのアクセス

—

駐車場

有(砥上山自然公園駐車場、無料約20台)

📍 周辺地図

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