概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
休松城(やすみまつじょう)は、福岡県朝倉市上秋月(旧甘木市)の小石原川東岸に面した標高約80~100メートル(比高約25メートル)の丘陵上および台地端部に築かれた戦国時代の陣城(砦)跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や甘木市史等に登載され、周辺は「休松古戦場」として朝倉市指定史跡に指定されている。秋月本城(古処山城)南西の小石原川流域平野に突き出た微高地に占地し、永禄10年(1567年)の「休松の戦い」に際して秋月城下を包囲・攻撃するために豊後大友軍が本陣・陣城として構築した。主郭となる高台を中心に段状削平地が連郭式に配され、周囲に空堀・堀切状の開析溝や切岸、土塁状の高まりが残存する。平野部から秋月谷へと進入する街道の喉元を扼する陣城であり、合戦後は秋月方によって改修・監視砦として利用された。
歴史的役割
永禄10年(1567年)7月、大友宗麟が秋月種実を討伐するため、吉弘鑑理、立花道雪(戸次鑑連)、高橋鑑種(後の裏切り前)、臼杵鑑速ら大軍を派遣した際、秋月城攻めの拠点陣城として設営された。休松に本陣を敷いた大友勢は、連日秋月方の出城群(道場山城、荒平城等)を圧迫したが、同年9月3日夜、秋月種実が豪雨と夜陰に乗じて大友本陣へ決死の奇襲を敢行した(休松の戦い)。この奇襲により大友軍は大混乱に陥り、吉弘鑑理の嫡男・吉弘鎮信や名将らが奮戦するも大敗を喫し、大友軍は総崩れとなって潰走した。戦国九州史における代表的奇襲戦の舞台であり、秋月種実が劣勢を覆して勢力を拡大する契機となった歴史的軍事結節点である。
見どころ
朝倉市指定史跡「休松古戦場」の石碑および解説案内板、大友軍が陣城・本陣を敷いた丘陵台地上の主郭平坦削平地、陣城防御線としての空堀・堀切状の溝地形および切岸斜面、休松天満宮境内に残る陣城土塁状の高まり、大友勢将兵の供養塔群(千人塚・首塚伝承地)、小石原川東岸から秋月谷の入口および古処山・荒平城・道場山城を一望する戦国合戦の緊迫感を今に伝える歴史的景観
ご当地グルメ
朝倉蒸し雑煮、甘木川魚料理・川蟹、筑前クロダマル(黒大豆)料理、朝倉和牛・筑穂牛ステーキ、秋月葛料理(葛切り・葛餅)