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100名城・続100名城 -
別称 中田加賀守館、矢上砦、矢上城跡
城址碑 あり
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 27.6m
最終訪問日 2024-01-21

📋 概要スペック

種別砦
縄張平山城
曲輪配置単郭式
築城者中田加賀守
築城年戦国時代
廃城年天正18年(1590年)
主な城主中田氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:27.6m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

矢上城(やがみじょう)は、神奈川県横浜市港北区日吉四丁目の慶應義塾大学日吉キャンパス敷地内(蝮谷・洋弓場北側周辺、東海道新幹線日吉トンネル直上付近)に位置した戦国時代の平山城(砦・城館)跡である。矢上川の屈曲部に向かって北東へ突き出た下末吉台地北端の舌状丘陵(標高約28メートル、比高約20メートル)に占地する。慶應義塾の施設建設や新幹線トンネル掘削等により大半が改変されているが、かつては南側を堀切で遮断した小規模な単郭状の曲輪が存在し、周囲には切岸斜面や空堀、土塁の痕跡が確認されていた。洋弓場入口の階段脇には中田氏子孫が建立した「中田加賀守祖先墳墓参道」の石碑が遺存する。矢上川・鶴見川流域の低地を見下ろし、武蔵国橘樹郡・都筑郡境の交通路を扼する要衝であった。

⚔️ 歴史的役割

戦国期に小田原北条氏の家臣で「小机衆」に属した中田加賀守の居城(館)と伝わる。中田氏は当初江戸城主・扇谷上杉氏配下の太田氏に仕えていたが、後北条氏の武蔵進出に伴って臣従し、小机城の支城・前哨網を構成した。天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐に際し、中田加賀守は小田原城籠城戦で討死したとも、矢上城に退いて没したとも伝わる。開基寺院である近隣の保福寺には中田氏の墓所が伝わり、城跡高台にも累代墳墓の供養塔が残る。北条氏滅亡に伴い廃城となったが、中田氏一族は当地に土着した。

👀 見どころ

慶應義塾大学日吉キャンパス蝮谷の洋弓場脇に遺存する「中田加賀守祖先墳墓参道」の城址・供養碑、新幹線トンネル直上の小山に残る中世平山城特有の切岸状急斜面および削平地地形、かつて南背後を遮断していた堀切・空堀の痕跡、城主中田加賀守が開基した近隣の保福寺(中田氏ゆかりの寺院)、標高28mの台地端部から矢上川流域・日吉および川崎市方面を見渡す城郭地形

🍲 ご当地グルメ

横浜家系ラーメン、日吉学生街グルメ(定食・大盛り丼)、日吉焼き鳥・もつ煮、日吉スイーツ(ワッフル・洋菓子)、横浜サンマーメン


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(15城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

東急東横線・目黒線・新横浜線・横浜市営地下鉄グリーンライン日吉駅東口から徒歩約10分、慶應義塾大学日吉キャンパス内を抜け蝮谷テニスコート・洋弓場(アーチェリー場)脇の石碑(標高約28m、比高約20m)

車でのアクセス

第三京浜道路 都筑ICから県道12号・県道2号経由で東へ車で約15分、または首都高速神奈川7号横浜北線 馬場出入口から北へ約15分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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