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100名城・続100名城 -
別称 今井砦、城山、今井城山、今井城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 77.5m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別砦
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者今井兼平
築城年鎌倉時代
廃城年天正18年(1590年)
主な城主今井氏、清水氏、北条氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:77.5m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

今井城(いまいじょう)は、神奈川県横浜市保土ケ谷区新桜ケ丘一丁目から今井町にかけて広がる標高約87メートル(比高約40メートル)の尾根上に所在した中世山城(砦)跡である。「今井砦」とも称され、『日本城郭大系』や横浜市教育委員会の調査資料・散策ガイド等に登載されている。今井川上流域と今井街道を見下ろす南北約300メートル、東西約200メートルの細長い丘陵上に占地し、金剛寺裏手の尾根頂部を中心に主郭および複数の平坦曲輪が連郭式に造成されていた。現在は住宅地や今井の丘公園、金剛寺墓域等に開発されているが、南端の城山稲荷境内周辺に切岸や空堀・堀切状地形、削平段が残存し、境内には「今井城址」の記念碑が建つ。西麓を通る鎌倉街道(下の道支線)を監視する要害であった。

⚔️ 歴史的役割

平安末期から鎌倉時代初期の武将で、源義仲(木曽義仲)の忠臣として知られる今井四郎兼平の居城・館であったとの伝承が残る。鎌倉街道沿いの要地を扼する立地から、鎌倉幕府警固のための前哨監視拠点として機能したとされる。戦国時代には後北条氏の支配下に入り、小机衆または玉縄城支城網の一翼を担う砦として再整備され、城代として清水氏が配置されたと伝わる。永禄12年(1569年)の武田信玄による小田原侵攻や、相模・武蔵境目の軍事警戒に関わったと推測され、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐で後北条氏が滅亡したことに伴い廃城となった。城域からは鎌倉〜戦国期の古銭約400kgが納められた常滑焼の大甕が出土している。

👀 見どころ

城山南端の城山稲荷境内に建つ横浜市長細郷道一揮毫の「今井城址」石碑、城山稲荷背後や金剛寺裏山に残存する削平曲輪段および切岸急斜面、尾根筋を区画していた空堀・堀切の開析地形、金剛寺山門内に掲示された城郭縄張図・城主墓解説板、常滑焼古甕と大量の渡来古銭(埋蔵金)が出土した歴史伝承地、標高87mの城山頂部(今井の丘公園周辺)から保土ヶ谷・戸塚・横浜中心部方面を見渡す鎌倉街道監視拠点ならではの眺望

🍲 ご当地グルメ

横浜家系ラーメン、サンマーメン、保土ケ谷宿名物宿場そば、保土ケ谷じゃがいも料理・焼酎、ハマぽーく豚肉料理


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(21城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

相鉄本線二俣川駅北口またはJR横須賀線保土ケ谷駅西口から相鉄バス(旭4系統・旭1系統等)で「金剛寺」下車徒歩約2分、またはJR横須賀線東戸塚駅から徒歩約30分(城山稲荷および金剛寺裏手丘陵、標高約87m、比高約40m)

車でのアクセス

横浜新道 今井ICから県道経由で北へ車で約5分、または保土ヶ谷バイパス 新桜ヶ丘ICから南東へ車で約5分

駐車場

有(金剛寺参拝者用駐車場利用、無料約10台、または今井の丘公園駐車場利用)

📍 周辺地図

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