概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | 独立式 | 天守形式 | 層塔型 |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | あり(巽櫓木造忠実復元、坤櫓木造忠実復元) |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | あり(東御門木造忠実復元) |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | あり(東御門・巽櫓多聞土塀木造復元) |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 水堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
駿府城(すんぷじょう)は、静岡県静岡市葵区駿府城公園に所在する安倍川扇状地の平野部に築かれた近世平城の代表的城郭跡である。「府中城」とも称され、静岡市指定史跡、日本100名城に選定。中世今川氏の今川館跡に徳川家康が天正13年に築城を開始し、大御所として隠居した慶長12年に全国の大名を動員した「天下普請」により大改修を実施した。本丸を中心に二ノ丸、三ノ丸が同心円状に三重の水堀を巡らせて配置された典型的な輪郭式平城で、当時日本最大規模(約60m×68m)を誇る豪壮な天守台に五重七階の天守がそびえ立った。平成期以降、伝統木造工法により二ノ丸の東御門・巽櫓および坤櫓が忠実に復元された。平成28年からの本丸天守台発掘調査では、慶長度と天正度の2時期の天守台石垣や大量の金箔瓦が出土し、巨大な発掘遺構現場がそのまま一般公開されている。
歴史的役割
徳川家康の生涯に深く結びついた城であり、幼少期の今川人質時代、壮年期の東海道領有期、そして征夷大将軍職を秀忠に譲り大御所として君臨した晩年の居城となった。大御所時代の駿府城は実質的な日本政治の最高決定機関・外交の舞台として機能し、スペインやイギリス・オランダなど西欧使節との通商交渉や大坂の陣の軍事指揮が執られた。寛永年間の大火や安政東海地震など度重なる被災を経て天守は再建されず、二ノ丸・本丸御殿を中心に城代・町奉行が置かれて幕府直轄地として明治まで存続した。幕末には最後の将軍・徳川慶喜が一時期謹慎・居住した地でもある。明治以降は陸軍歩兵第三十四連隊が駐屯し二ノ丸・本丸の水堀の一部が埋め戻されたが、戦後は駿府城公園として整備され、大御所政治の栄華を今に伝えている。
見どころ
絵図・古写真・発掘成果に基づき伝統木造工法で忠実に復元された二ノ丸の「東御門」および「巽櫓」「坤櫓」(内部は資料展示・今川義元および家康公関連展示)、日本最大級の規模を誇る天守台が露出し慶長・天正の石垣や金箔瓦の出土状況を間近に見学できる「天守台発掘調査現場(天守台跡)」、今なお満々と水を湛え白鳥が泳ぐ雄大な「中堀(二之丸水堀)」および外堀の石垣景観、家康公が手植えしたと伝わる「お手植えの蜜柑(県指定天然記念物)」および徳川家康公銅像、二ノ丸跡に広がる優美な回遊式大名庭園「紅葉山庭園」、静岡市歴史博物館(東御門対面に立地・戦国時代の道遺構展示)、市指定史跡碑・案内板
ご当地グルメ
静岡おでん(黒はんぺん・牛すじ・黒出汁・青海苔魚粉)、桜えびのかき揚げ・生桜えび丼、富士宮やきそば、静岡茶(本山茶・安倍茶スイーツ)、駿河湾生しらす丼
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。