概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | 連結式 | 天守形式 | 層塔型 |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | あり(本丸御殿木造忠実復元) |
| 現存櫓 | あり(西北隅櫓/清須櫓、西南隅櫓、東南隅櫓/いずれも国指定重要文化財) | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | あり(乃木倉庫現存/明治期弾薬庫・登録有形文化財) |
| 現存門 | あり(本丸表二之門、二之丸大手二之門、旧二之丸東二之門/いずれも国指定重要文化財) | 再建門 | あり(正門木造復元、東門木造復元) |
| 現存土塀 | あり(二之丸土塀等現存) | 再建土塀 | あり(本丸土塀木造復元) |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 水堀あり・空堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
名古屋城(なごやじょう)は、愛知県名古屋市中区本丸に所在する濃尾平野中央の熱田台地北西端に築かれた近世城郭の最高峰と称される平城跡である。「金鯱城」「名城」とも称され、国指定特別史跡、日本100名城に選定。徳川家康が九男・義直のために加藤清正ら西国大名20家を動員した「天下普請」により築かせた。広大な本丸の北西隅にそびえる五重五階地下一階の大天守は小天守と橋台で結ばれた連結式層塔型天守で、屋根上には黄金の金鯱が輝く。本丸南東・西南・西北には現存重要文化財の三重櫓群が構えられ、巨石を多用した打込接ぎ・切込接ぎの壮大な石垣群と深大な空堀・水堀が巡る。昭和20年の空襲で天守と本丸御殿が焼失したが、昭和34年に天守が外観復元され、平成30年には狩野派の障壁画や精緻な木造建築技術を忠実に蘇らせた「本丸御殿」が完全復元公開された。
歴史的役割
大坂の豊臣秀頼を包囲・牽制し、東海道の要衝を押さえる徳川幕府の最重要軍事拠点として築城された。清須越と呼ばれる大規模な都市移転によって城下町が整備され、御三家筆頭である尾張徳川家61万9千石の居城として明治維新まで一貫して存続した。城内には御三家筆頭にふさわしい格式を誇る壮麗な本丸御殿や二之丸庭園が造営され、幕府の権威を象徴した。幕末の動乱期においても尾張藩は尊王佐幕の間で揺れ動きつつも新政府軍に従い、城内建造物は無血で引き渡された。明治以降は名古屋離宮として皇室の別邸となり、昭和5年(1930年)には城郭建築として日本初の国宝に指定された。太平洋戦争末期の名古屋大空襲で天守や御殿の多くを焼失したが、焼失前に疎開させていた狩野派の障壁画1,047面や実測図面が奇跡的に残り、戦後の正確無比な本丸御殿木造完全復元を可能にした。
見どころ
城郭建築として日本初の国宝指定を受け天守屋根に輝く金鯱をいただく雄大な「大天守・小天守(復興外観天守)」、江戸時代の技法と厳選木材を用いて忠実に完全復元された日本一豪華絢爛な近世武家御殿「本丸御殿(表書院・対面所・上洛殿・湯殿書院・復元障壁画群)」、国指定重要文化財として江戸期より現存する三基の三重櫓「西南隅櫓」「東南隅櫓」「西北隅櫓(清須櫓)」、加藤清正が運んだと伝わる巨石「清正石」をはじめとする天下普請の刻印残る豪壮な「高石垣群」、国指定重要文化財の現存城門「本丸表二之門」「二之丸大手二之門」、城郭を取り巻く深大かつ広大な「水堀・空堀(名城公園)」、国の名勝「名城公園・二之丸庭園」、国特別史跡碑・案内板・金シャチ横丁
ご当地グルメ
名古屋コーチン料理(親子丼・引きずり鍋)、味噌カツ(矢場とん等名店)、ひつまぶし(うなぎ飯)、きしめん(平打ちうどん)、手羽先唐揚げ・天むす
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。