概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | 複合式 | 天守形式 | 望楼型 |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | あり(表御殿木造外観復元/彦根城博物館) |
| 現存櫓 | あり(天秤櫓、太鼓門櫓、西の丸三重櫓、二の丸佐和口多聞櫓/いずれも国指定重要文化財) | 再建櫓 | あり(佐和口多聞櫓東翼部木造復元) |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | あり(太鼓門、西の丸三重櫓続門/国指定重要文化財) | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | あり(天秤櫓続土塀、佐和口多聞櫓続土塀等現存/国指定重要文化財) | 再建土塀 | あり(復元佐和口土塀等) |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | あり(元:西の丸門伝承、先:市内宗安寺山門/市指定文化財) |
| 遺構 | 水堀あり・空堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
彦根城(ひこねじょう)は、滋賀県彦根市金亀町に所在する琵琶湖東岸の独立丘陵・金亀山(標高約136メートル、比高約50メートル)に築かれた近世平山水城跡である。「金亀城」とも称され、国宝(天守・附櫓・多聞櫓)、国指定特別史跡、日本100名城に選定。徳川四天王の一人・井伊直政の遺志を継いだ嫡男・直継と直孝が、幕府の天下普請の支援を受けて慶長9年から約20年をかけて完成させた。山頂の本丸を中心に二の丸、山崎郭、西の丸、出郭が連なり、外周には琵琶湖水を引き込んだ三重の堀(内堀・中堀・外堀)が巡る。現存天守は三重三階地下階の木造望楼型天守で、切妻破風・入母屋破風・唐破風が調和し、花頭窓や廻縁高欄を配した華麗かつ実戦的な構造を誇る。大津城、佐和山城、小谷城など近隣諸城の用材を移築・再利用したエコ築城の典型例としても知られ、大名庭園の玄宮園とともに近世城郭の景観を奇跡的な完成度で保全している。
歴史的役割
関ヶ原の合戦後、石田三成の居城であった佐和山城に入封した井伊直政が、軍事・交通の利便性と新たな城下町形成を見据えて金亀山への本拠移転を構想したことに始まる。直政の急逝後、直継・直孝兄弟が遺志を継ぎ、幕府公認のもと西国大名への備えと京都・東海道・中山道の結節点を抑える最前線拠点として築城された。井伊家は譜代大名筆頭として大老を多数輩出し、江戸時代を通じて幕政中枢を担った。幕末には大老・井伊直弼が日米修好通商条約の締結を主導した舞台としても知られる。明治維新の廃城令では建造物の解体が進められたが、明治11年(1878年)の明治天皇北陸・東海巡幸の際、大隈重信らの進言と天皇の下問により特旨をもって保存が命じられ破却を免れた。戦火や天災を逃れて天守のみならず櫓・門・堀・庭園が総合的に現存し、世界遺産暫定一覧表にも記載されている。
見どころ
昭和27年に国宝指定を受けた現存十二天守の一つ「現存国宝天守(附櫓・多聞櫓)」の破風群と花頭窓、中央を巨大な大堀切が分断し落とし橋(廊下橋)を渡した先にそびえる国指定重要文化財「天秤櫓」、登城太鼓を鳴らして合図を送った国重文「太鼓門櫓」、琵琶湖側を厳重に防備する三層の国重文「西の丸三重櫓」および「佐和口多聞櫓」、琵琶湖水を引き込み内堀・中堀が完存する広大な「水堀」と屋形船遊覧、井伊家歴代の茶の湯・迎賓の舞台となった名勝「玄宮園・楽々園」、発掘調査と絵図に基づき木造復元された表御殿(彦根城博物館・井伊家伝来国宝彦根屏風・赤備え甲冑展示)、国特別史跡碑・案内板・井伊直政公銅像
ご当地グルメ
近江牛料理(すき焼き・牛丼・ステーキ)、近江ちゃんぽん(彦根発祥・和風出汁野菜ラーメン)、鮒寿司・湖魚料理(鮎・諸子・ビワマス)、赤こんにゃく料理、彦根銘菓埋れ木(井伊直弼ゆかりの和菓子)
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。