概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | 代用櫓 | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | あり(坤櫓、巽櫓/いずれも国指定重要文化財) | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | あり(巽櫓・坤櫓両脇土塀等一部現存) | 再建土塀 | あり(本丸土塀復元等) |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 水堀あり・空堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
明石城(あかしじょう)は、兵庫県明石市明石公園に所在する明石海峡と播磨灘を望む赤松山丘陵の南端部(標高約20メートル、比高約15メートル)に築かれた近世平山城跡である。「喜春城」「錦江城」とも称され、国の史跡、日本100名城に選定。元和5年に信濃松本から入封した徳川家康の孫・小笠原忠政(のちの忠真)が、西国大名への監視と大坂防衛の拠点として徳川幕府の全面的な支援を受けて築城した。本丸を中心に二ノ丸、東ノ丸、稲荷曲輪、三ノ丸が階段状に配置された堅固な連郭・梯郭式縄張を持つ。天守は建てられず、本丸四隅の三重櫓が天守代用とされ、現在もそのうちの「巽櫓」と「坤櫓」の2基が国指定重要文化財として現存する。全国に12基しか残らない現存三重櫓のうち2基が同一城内に並び立つ極めて貴重な遺構であり、豪壮な野面積み・打込接ぎ高石垣や広大な水堀(剛ノ池等)とともに美しい城郭景観を誇る。
歴史的役割
大坂の陣後に徳川幕府が推進した西国支配強化の一環として、西国街道および明石海峡の海上交通を同時に掌握する要衝に築かれた。普請には将軍・徳川秀忠の命により幕府直営の天下普請に準ずる支援が行われ、三木城・高砂城・船上城などの破却資材や建築物が多数移築転用された。忠政の岳父にあたる剣豪・宮本武蔵が招かれ、城下町の町割りと城内庭園の設計に関与した伝承も残る。小笠原氏転封後は戸田氏、本多氏などを経て、天和2年(1682年)に越前松平家の松平直明が6万石で入封。以後明治維新に至るまで親藩越前松平家10代の居城として播磨東部の軍事・政治の中枢を担った。明治維新の廃城令により御殿や門の大半は撤去されたが、巽櫓・坤櫓の両三重櫓と壮大な高石垣群は奇跡的に解体を免れ、皇室の明石離宮構想を経て兵庫県立明石公園として大切に保存された。
見どころ
本丸南端にそびえ立ち全国で12基のみ現存する三重櫓のうちの2基である国指定重要文化財「巽櫓(三木城からの移築伝承)」および「坤櫓(伏見城からの移築伝承)」、両三重櫓を東西に結ぶ壮麗な「本丸南面高石垣(打込接ぎ・算木積み)」のダイナミックな景観、天守が建てられなかったものの五重天守相当の規模を誇る雄大な「天守台石垣跡」、宮本武蔵が作庭に関わったと伝わる「武蔵の庭園(本丸・東ノ丸)」、城郭北側を厳重に防備する広大な水堀「剛ノ池」および桜の名所景観(日本さくら名所100選)、二ノ丸・東ノ丸・稲荷曲輪を区画する深い堀切・空堀・切岸遺構群、本丸展望台から明石海峡大橋と淡路島を一望する雄大な眺望、国指定史跡碑・案内板
ご当地グルメ
明石焼き(玉子焼/出汁・三つ葉)、明石鯛料理(鯛めし・鯛のあら炊き)、明石蛸料理(たこ飯・柔らか煮・タコ天)、穴子料理(焼き穴子重・ちらし寿司)、明石のり佃煮・明石地酒
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。