概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | 連立式 | 天守形式 | 層塔型 |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | あり(大天守・小天守・乾櫓・二の門櫓・楠門等外観復元) |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | あり(岡口門/国指定重要文化財) | 再建門 | あり(一の橋大手門、追廻門木造復元、御橋廊下復元) |
| 現存土塀 | あり(岡口門続土塀等一部現存/国指定重要文化財附) | 再建土塀 | あり(天守群土塀・西之丸土塀等復元) |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 水堀あり・空堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
和歌山城(わかやまじょう)は、和歌山県和歌山市一番丁に所在する紀の川河口南岸に位置する独立丘陵・虎伏山(標高約49メートル、比高約45メートル)山頂および山麓に築かれた近世平山城跡である。「虎伏城」とも称され、国の史跡、日本100名城に選定。天正13年に紀州を平定した豊臣秀吉が弟・秀長に命じ、藤堂高虎を普請奉行として築かせた。山頂の本丸を中心に二の丸、西の丸、砂の丸、吹上丸が巧みに連なる梯郭・連郭式の縄張を誇る。山頂の天守曲輪には、大天守と小天守、乾櫓、二の門櫓を渡櫓でロの字状に結んだ姫路城・松山城と並ぶ日本三大連立式天守がそびえ立つ。石垣は時代ごとに変遷し、豊臣期の緑色片岩(青石)野面積み、浅野期の砂岩打込接ぎ、徳川期の切込接ぎと多様な技法が同一城郭内に重層的に残る。西の丸と二の丸を結ぶ斜め架橋の「御橋廊下」が復元されるなど、名勝・西之丸庭園とともに江戸期大名文化の粋を留める。
歴史的役割
紀伊国の土豪・雑賀衆や根来衆を制圧した豊臣政権が、南海道の総鎮守・軍事拠点として築かせた。桑山重晴が城代を務めた後、関ヶ原合戦後に浅野幸長が37万6千石で入封して城郭と城下町の大規模な拡張を実施。元和5年(1619年)には徳川家康の十男・徳川頼宣が55万5千石で入封し、徳川御三家の一つ「紀州徳川家」の居城となった。八代将軍・徳川吉宗や十四代将軍・徳川家茂を輩出するなど江戸幕府を支える最高中枢の拠点として威勢を誇った。天守は弘化3年(1846年)の落雷で焼失したが安政年間に再建され、旧国宝に指定されていたものの昭和20年(1945年)の和歌山大空襲で惜しくも焼失。昭和33年に市民の熱意で鉄筋コンクリート造にて外観復元された。岡口門は空襲を生き延びた貴重な江戸初期の現存建築である。
見どころ
姫路城・松山城と並び称される大天守・小天守・乾櫓・二の門櫓を連結した豪壮な「連立式天守閣(外観復元/内部展示・虎伏山頂からの紀の川・和歌山市街眺望)」、慶長年間の浅野幸長時代に築かれ大空襲を免れた国指定重要文化財「現存岡口門」および続土塀、二の丸と西の丸を堀を跨いで斜めに結ぶ全国的にも珍しい復元木造歩道橋「御橋廊下」、豊臣期の青石(緑色片岩)野面積み・浅野期の打込接ぎ・徳川期の切込接ぎが共存し石垣の変遷を一望できる「重層的石垣群」、国の名勝に指定された池泉回遊式大名庭園「西之丸庭園(紅葉渓庭園)」、城内本丸・二の丸を包囲する壮大な「水堀」景観、朱塗りの復元追廻門、国指定史跡碑・案内板・徳川吉宗公像
ご当地グルメ
和歌山ラーメン(井出系豚骨醤油・車庫前系醤油ラーメン)、めはり寿司(高菜浅漬け巻きおにぎり)、紀州南高梅料理、和歌浦シラス丼(生しらす・釜揚げしらす)、和歌山名物早すし(鯖の押し寿司)
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。