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100名城・続100名城 69番
別称 鬼城、鬼ヶ城、鬼ノ城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 あり
標高 283.8m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別古代山城
縄張古代山城
曲輪配置神籠石式
築城者大和朝廷
築城年7世紀後半(飛鳥時代・白村江の戦い後)
廃城年不明
主な城主温羅(伝承)、大和朝廷
指定文化財国指定史跡

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門あり(西門木造復元)
現存土塀なし 再建土塀あり(西門脇角楼・土塁復元)
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:283.8m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

鬼ノ城(きのじょう)は、岡山県総社市山田等の吉備高原南縁にそびえる鬼城山(標高約397メートル、比高約350メートル)山頂部に築かれた古代山城(神籠石系山城)跡である。国の史跡、日本100名城に選定。『日本書紀』等の正史に築城記録のない「文献に現れない古代山城」であり、天智2年(663年)の白村江の戦いでの大敗後、唐・新羅の侵攻に備えて大和朝廷が瀬戸内海沿岸の防衛線として築いたものと考えられている。鉢巻状に巡る版築土塁と切石石垣からなる城壁は全長約2.8キロメートルに及び、城内には東西南北の4つの城門、角楼、6箇所の水門、礎石建物群(貯穀倉庫・管理施設)が配置されていた。発掘調査成果に基づき平成期に木造復元された豪壮な「西門」や角楼は古代建築技術の粋を現代に示し、吉備平野を眼下に見下ろす雄大な古代要塞景観を誇る。

⚔️ 歴史的役割

吉備津彦命による「温羅(うら)退治」伝説の舞台として古代より知られ、百済の王子・温羅が拠点として悪行を働いたため朝廷が派遣した五十狭芹彦命(吉備津彦命)に討たれたという桃太郎伝説の原形となった。考古学的見地からは、大和朝廷による国土防衛網の一翼を担い、瀬戸内海を見下ろす要衝として烽火・監視・軍事補給の役割を果たした国家的大事業の遺跡である。古代山城としての機能停止後は、平安から中世にかけて山岳寺院(鬼城山育成寺)が境内に営まれるなど宗教的拠点へと変遷した。昭和後期からの本格的な学術発掘調査によって城壁構造や水門の石組暗渠、鍛冶工房跡が次々と解明され、日本の古代軍事土木技術の高さを立証する極めて貴重な遺構として史跡整備が進められた。

👀 見どころ

版築工法と切石石垣を組み合わせて山頂外周約2.8kmにわたり巡らされた壮大な「城壁(版築土塁・列石石垣)」、発掘調査の柱穴跡に基づき三層構造で忠実に木造復元された古代軍事建築の傑作「西門」および張り出し防衛拠点「角楼」、城内の排水を処理するため石組と暗渠で精巧に構築された「第1〜第6水門(石組水門群)」、東門・南門・北門の門礎石遺構および貯穀倉庫跡とされる礎石建物群、鬼城山頂(標高397m)から総社市街・吉備平野・瀬戸内海を一望する絶景パノラマ、古代山城の歴史や発掘ジオラマを解説展示する「鬼城山ビジターセンター」、温羅伝説ゆかりの温羅旧跡・血吸川、国指定史跡碑・案内板

🍲 ご当地グルメ

総社名物赤米料理(赤米うどん・赤米甘酒)、温羅うどん(鬼にちなんだ具沢山うどん)、蒜山焼きそば・津山ホルモンうどん(岡山B級グルメ)、備前黒毛和牛料理、白桃・マスカットスイーツ


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(0城)

※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR伯備線・吉備線総社駅からタクシーで約20分「鬼城山ビジターセンター」下車、西門跡まで遊歩道を徒歩約10〜15分、またはJR服部駅から登山道を徒歩約90分(総社市黒尾・山田・奥坂・鬼城山一帯、標高約397m、比高約350m)

車でのアクセス

岡山自動車道 岡山総社ICから国道180号および県道経由で北西へ車で約20〜25分

駐車場

有(鬼城山ビジターセンター駐車場、無料約70台)

📍 周辺地図

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