概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | 独立式 | 天守形式 | 望楼型 |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | あり(懐徳館/本丸御殿・国指定重要文化財) | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | あり(東多聞、西多聞、詰門、廊下門等/国指定重要文化財計15棟) | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | あり(追手門、黒鉄門等/国指定重要文化財) | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | あり(矢狭間塀等/国指定重要文化財) | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 水堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
高知城(こうちじょう)は、高知県高知市丸ノ内一丁目に所在する高知平野中央の独立丘陵・大高坂山(標高約44メートル、比高約35メートル)山頂部に築かれた近世平山城跡である。「鷹城」とも称され、国の史跡、重要文化財(現存天守・本丸御殿等15棟)、日本100名城に選定。関ヶ原合戦後に遠江掛川より土佐一国20万石で入封した山内一豊が慶長6年に築城を開始した。鏡川と江ノ口川を天然の外堀とし、山頂の本丸・二ノ丸・三ノ丸を階段状に配置した梯郭式縄張を持つ。享保12年の大火で焼失後、宝暦年間に創建当時の姿を忠実に再現して再建された四重六階の現存木造望楼型天守は、全国で唯一「本丸御殿(懐徳館)」と完全に連結・現存する奇跡的な遺構である。外枡形の堂々たる追手門から天守を一画に収めて撮影できる構図や、雨の多い南国土佐ならではの石樋(水抜き)など実戦と気候に適応した独創的遺構が凝縮されている。
歴史的役割
南北朝期の大高坂松王丸の居城、戦国末期の長宗我部元親による大高坂城を経て、山内一豊によって土佐支配の恒久的な中心拠点として完成された。当初は水害の多さから「河中山城」と呼ばれたが、二代忠義の代に水害を嫌い「高智城(高知城)」へと改称された。山内家は外様大名でありながら徳川幕府への忠誠を貫き、土佐藩24万石を治め続けた。幕末には藩主・山内豊信(容堂)が坂本龍馬や後藤象二郎らの建白を受け入れ、徳川慶喜に対して「大政奉還」を建白する歴史的舞台となった。明治維新の廃城令や戦災を免れ、本丸内の主要建築(天守・御殿・詰門・廊下門・東多聞・西多聞)がそっくりそのまま現存する国内唯一の「本丸完存城郭」として国宝級の価値を有する。
見どころ
本丸御殿(懐徳館)と渡り廊下で結ばれ本丸の建造物群がほぼ完全な形で現存する国指定重要文化財「四重六階現存天守」、全国で川越城・高知城にのみ残る極めて貴重な現存御殿建築「本丸御殿(懐徳館)」、追手門越しに天守閣を同一アングルに収めることができる日本屈指の撮影スポット「国重文追手門」、二ノ丸と本丸の間を遮断し有事には武者隠しとなる二階建ての関所「現存詰門」、南国土佐の豪雨による石垣崩壊を防ぐために突き出された独自の排水設備「石樋(水抜き遺構)」、算木積みが美しい野面積み・打込接ぎの「高石垣群」、山内一豊公騎馬銅像および妻・千代(見性院)像、板垣退助銅像、国指定史跡碑・案内板
ご当地グルメ
カツオのタタキ(藁焼き塩タタキ・ニンニクスライス添え)、土佐巻き(カツオタタキの巻き寿司)、屋台餃子(高知名物薄皮パリパリ焼き餃子)、田舎寿司(ミョウガ・シイタケ等の山菜寿司)、土佐あかうし料理(牛鍋・ステーキ)