概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | あり(御台所/城内現存) | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | あり(元:御殿大広間、先:市内薬師寺本堂) | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | あり(元:東大手門、先:市内個人宅等に移築、元:通用門、先:市内の寺院へ移築) |
| 遺構 | 水堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
龍岡城(たつおかじょう)は、長野県佐久市田口に所在する千曲川支流の雨川・田口川が形成した扇状地上(標高約700メートル)に築かれた大給松平家1万6千石の田野口(龍岡)藩陣屋跡である。函館の五稜郭とともに日本に2つしか存在しない貴重な星型要塞(稜堡式城郭)であり、「龍岡五稜郭」とも称され国の史跡、続日本100名城に選定。幕末の開明派老中格・陸軍総裁を務めた松平乗謨(大給恒)が、フランスのヴォーバン式築城術を導入して元治元年に着工した。五連の突角を持つ星形稜堡を配し、周囲を総延長約1キロメートルに及ぶ直線的な石垣と水堀で囲繞している。敷地内には藩政を司る御殿・役所や兵舎が配置された。明治初期の破却を経て城内は佐久市立田口小学校の敷地となったが、水堀や稜堡石垣が美しく残り、城内には唯一解体を免れた「御台所」が現存、薬師寺本堂として大広間が移築現存する。
歴史的役割
幕末の激動期、西洋の最新軍事技術・兵学を深く学んだ大給松平家宗家の松平乗謨が、三河国奥殿藩から信濃国田野口へ藩庁を移転(陣屋移転)するにあたって築造した。乗謨は幕府の陸軍総裁や若年寄、陸海軍専任の老中格を歴任し、幕府陸軍の近代化を推し進めた人物である。龍岡城は従来の近世城郭・陣屋とは一線を画す稜堡式火器防御要塞として構想され、砲撃戦を想定した死角のない星形縄張が採用された。しかし慶応3年(1867年)の竣工直後に大政奉還を迎え、幕府が瓦解したため実戦を経験することなく明治5年(1872年)に廃城令により破却された。乗謨は維新後に名を大給恒と改め、日本赤十字社の創設に尽力した。未完に終わった部分も多いが、幕末における軍事変革と西洋要塞導入の歴史を今に伝える極めて稀有な軍事遺産である。
見どころ
函館五稜郭と並び日本に2基のみ現存する星型要塞の精緻な幾何学美を示す「稜堡式石垣(突角部石垣)」および「水堀」、城内に解体を免れ唯一現存する貴重な藩政建造物「御台所(長野県宝指定)」、市内の薬師寺本堂として移築現存する「旧御殿大広間」、城の背後・五稜郭展望台(田口城跡尾根)から星形の全景を眼下に一望する絶景ビューポイント、日本赤十字社創設に貢献した城主「大給恒(松平乗謨)胸像」、城跡のガイダンス展示や続日本100名城スタンプが置かれた「五稜郭であいの館」、城内に位置する歴史ある田口小学校の景観、国指定史跡碑・案内板
ご当地グルメ
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。