概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
佐柿国吉城(さがきくによしじょう)は、福井県三方郡美浜町佐柿に所在する丹後街道を眼下に扼する御岳山(城山、標高約197メートル、比高約170メートル)に築かれた中世・近世の山城跡である。「国吉城」とも称され、国の史跡、続日本100名城に選定。若狭守護武田氏の重臣・粟屋光若が弘治2年に築城した。山頂の本丸(主郭)を中心に連郭・階郭状に曲輪群が配され、背後の尾根を遮断する大堀切や斜面の竪堀、切岸が強固な要塞線を形成する。近年の発掘調査により、山麓の居館跡(御殿跡)から礎石建物群や枯山水庭園状の石組、石垣水路、天正年間の豊臣系大名(木村重茲ら)による織豊系野面積み石垣虎口が検出され、山頂の詰城と山麓の政庁居館が一体となった構造が実証された。石垣と土塁が融合した城郭遺構が良好に遺存し、史跡整備が進んでいる。
歴史的役割
戦国期の若狭国における越前朝倉氏の侵攻に対する最前線要塞として名高い。永禄6年(1563年)以降、越前の覇者・朝倉義景軍が幾度にもわたり大軍で押し寄せたが、城主・粟屋勝久は籠城戦を展開して幾年もの猛攻をことごとく撃退し「難攻不落の城」と謳われた。元亀元年(1570年)、織田信長が越前朝倉攻めを行った際には本城に入城して本陣を構え、勝久の長年の忠節を大いに賞賛して名刀を授けた。本能寺の変後は丹羽長秀の支配下に入り、豊臣政権下では木村重茲や山口宗永らが領主となって山麓居館や石垣枡形虎口の大改修を実施した。慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦後に京極高次が若狭一国を拝領すると、重臣の佐久間安政(柴田勝家の甥)が佐柿領主として入城。元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となったが、その後も小浜藩の番所が置かれ軍事・交通の要地として維持された。
見どころ
山麓居館跡に復元整備された織豊系技術の粋を示す「居館跡野面積み石垣」および「枡形虎口」、山頂本丸を厳重に守る高さ数メートル・幅十数メートルに及ぶ圧巻の「大堀切」群、斜面に刻まれた「竪堀」や本丸・二の丸の平坦面と切岸、山麓居館跡の発掘調査で検出された大規模な礎石建物跡・庭園石組遺構、山麓に位置し城の歴史・発掘出土品展示や続日本100名城スタンプを備える「若狭国吉城歴史資料館(旧佐柿番所跡)」、信長・秀吉・家康の三英傑が立ち寄った歴史を伝える伝承地、山頂本丸から美浜の市街地・美浜湾・日本海・三方五湖方面を一望する絶景、国指定史跡碑・案内板
ご当地グルメ
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
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