概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
有子山城(ありこやまじょう)は、兵庫県豊岡市出石町下谷に所在する出石盆地南端の険峰・有子山(標高約321メートル、出石城下からの比高約300メートル)山頂部に築かれた織豊期の本格的連郭式山城跡である。国の史跡(出石城跡と一体指定)、続日本100名城(162番・出石城と連名)に選定。但馬守護・山名祐豊が此隅山城落城後に新たな本拠として元亀・天正年間に築造した。山頂主郭(本丸)から尾根沿いに六重の曲輪群が細長く連なり、千畳敷、井戸曲輪、大堀切が構築されている。最大の特徴は、織田・豊臣軍の侵攻後に羽柴秀長や前野長康、小出吉政ら織豊系城主によって山頂全域に施された野面積みの高石垣群であり、隅角部には初期の算木積みが確認できる。山麓には居館(のちの近世出石城)が置かれ、山頂の詰城と山麓居館が一体となった戦国末期から近世初頭の城郭構造を極めて明瞭に残している。
歴史的役割
室町幕府四職の一角として栄えた名門但馬山名氏最後の本拠地であり、織田政権による但馬征伐の決戦舞台となった。天正8年(1580年)、織田信長の命を受けた羽柴秀吉・秀長軍の猛攻を受け、山名祐豊は城内で病没(または敗退)して落城し、但馬山名宗家は滅亡した。落城後は織豊系の軍事・統治拠点となり、秀吉配下の羽柴秀長、前野長康、青木一矩、小出吉政らが城主を務めた。この時期に石垣普請や虎口改修など織豊系の先進的改修が大規模に実施された。関ヶ原合戦を経て領主となった小出吉英が、山頂の山城が平時の統治に不便であることから、慶長9年(1604年)に山麓居館部を拡張・整備して近世出石城を築き、山頂の有子山城は廃城となった。以後、山頂部は手つかずのまま自然林に包まれ、織豊系山城の破却・風化痕跡と壮大な石垣構造がほぼ完全な状態で現代まで良好に遺存している。
見どころ
有子山山頂主郭(本丸)を囲む織豊期初頭の貴重な「主郭野面積み高石垣群」および天守台状石垣遺構、主郭南西尾根を鋭利かつ深大に遮断する「大堀切」群、千畳敷・井戸曲輪など階段状に展開する長大な連郭遺構と切岸、山頂尾根直下の岩盤から湧き出る貴重な籠城用水「井戸跡」、山麓の近世出石城跡(復元隅櫓・登城門・石段)と一体をなす国指定史跡景観、山頂主郭から出石盆地・出石城下町・円山川流域・但馬山々を見下ろす360度の雄大な絶景、続日本100名城スタンプが設置された山麓の出石観光案内所・出石城跡、国指定史跡碑・案内板
ご当地グルメ
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
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