概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
花沢館(はなざわだて)は、北海道檜山郡上ノ国町字勝山に所在する天の川下流南岸の河岸段丘・丘陵末端(標高約25メートル、比高約20メートル)に築かれた中世道南十二館の一つに数えられる山城館跡である。国の史跡(上ノ国館跡のうち花沢館跡)に指定。宝徳年間に安東氏の被官・蠣崎季繁が上ノ国における初期の支配拠点として築造した。天の川に面した北側および西側の急峻な断崖を天然の障壁とし、東側から南側の背後尾根を長大な空堀・堀切と土塁によって区画した連郭式の構造を持つ。館内は主郭を中心に段状の平坦面が展開し、発掘調査では掘立柱建物跡や土坑、鍛冶遺構、中国産陶磁器(青磁・白磁)や国産陶器、鉄製品などが出土した。季繁が平地の洲崎館、のちに武田信広が勝山館へと拠点を移す前段階の貴重な初期要塞遺構であり、道南和人社会の形成期を象徴する遺跡として学術的に重視されている。
歴史的役割
室町中期における津軽安東氏による蝦夷地支配の一環として、日本海交易・渡島半島西岸の和人集落(渡党)統御のため築かれた。築城主の蠣崎季繁は茂別館の安東家政らとともに道南の有力首領として勢力を扶植。享徳3年(1454年)、若狭武田氏の出と伝わる武田信広が陸奥経由で蝦夷地へ渡航した際、まずこの花沢館に身を寄せ、その器量を認めた季繁の客将・養子となった。信広はここで季繁の娘(安東政季の養女)を妻に迎え、後年の松前藩へと繋がる権力基盤の第一歩を印した。その後、季繁は本拠を港湾利便性の高い天の川河口平野部の洲崎館へ移転させたため、花沢館は主要拠点としての役割を終えたとされる。中世蝦夷地における武田信広の足跡と松前氏黎明期の権力移行プロセスを解明する上で欠くことのできない歴史的位置を占める。
見どころ
天の川を望む段丘端部に良好に残る主郭平坦面および明瞭な段状の「切岸」遺構、背後の尾根筋を厳重に分断・遮断する「堀切(空堀)」および「土塁」の痕跡、松前家祖・武田信広が若狭から蝦夷地に渡り蠣崎季繁に迎え入れられた歴史的舞台、近隣に所在する洲崎館跡・勝山館跡とあわせ中世和人館の発展・変遷(花沢館→洲崎館→勝山館)を一体的に体感できる史跡景観、出土陶磁器などの重要文化財を保管展示する勝山館跡ガイダンス施設、国指定史跡標柱(上ノ国館跡・花沢館跡)・解説案内板