概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | 独立式 | 天守形式 | 層塔型 |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | あり(模擬天守・湯浅城温泉) |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | あり(模擬冠木門・城門復元) |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | あり(模擬城郭塀) |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
湯浅城(ゆあさじょう)は、和歌山県有田郡湯浅町大字湯浅に所在する湯浅湾(紀伊水道)を眼下に望む独立丘陵・城山(標高約93メートル、比高約80メートル)山頂部に築かれた中世山城跡である。湯浅町指定史跡。平安末期に紀伊の有力豪族・湯浅宗重が本拠として築城した。山頂の主郭(一の丸)を中心に二の丸、三の丸を尾根沿いに段状に連ねた連郭式縄張を持ち、尾根筋を断ち切る堀切や土塁、帯曲輪、切岸、古井戸跡が明瞭に残存する。湯浅湾の天然良港に直結し、熊野街道と海上交通を扼する軍事・水軍要衝であった。山腹には宗重が菩提寺として建立した勝楽寺(重文・湯浅宗重像安置)が鎮座し、中世武士団の城館配置を良好にとどめる。なお山麓には昭和期に建てられた観光宿泊施設「湯浅温泉湯浅城」(三層の模擬天守)が威容を誇り地域のランドマークとなっている。
歴史的役割
源平合戦から南北朝内乱にかけて紀伊武士団の中核として中央政界を動かした名族・湯浅党の本拠要塞である。湯浅宗重は平治の乱において熊野参詣中の平清盛・重盛父子を急変に際して護衛し、平家重用を受ける契機を作った。治承・寿永の乱(源平合戦)では平家方として源氏に抵抗したが、文治元年(1185年)に源頼朝に臣従し地頭職を安堵された。また宗重は名僧・明恵上人の叔父にあたり、明恵の修行や高山寺・施無畏寺の開山を全面的に庇護したことでも名高い。南北朝時代には南朝方に属して吉野の皇統を支え、北朝方の畠山氏や足利幕府軍と熾烈な攻防戦を展開した。しかし室町初期にかけて勢力を拡大した紀伊守護・畠山氏の圧迫を受けて衰退し、本城も役目を終えて廃絶した。平安末期から南北朝期に至る紀伊国衆・水軍勢力の盛衰と中世在地武士団の拠点のあり方を如実に示す第一級の城郭遺跡である。
見どころ
城山山頂の尾根筋を深く掘削して敵の侵攻を遮断した「堀切」遺構、主郭(一の丸)周囲を取り巻く「土塁」および山腹を急峻に削り落とした「切岸」、尾根筋に階段状に連なる「主郭・二の丸・三の丸」の削平段群、山頂付近に遺存し籠城時の水源となった「古井戸跡」、山頂曲輪から湯浅湾・紀伊水道・湯浅伝統的建造物群保存地区を一望する大パノラマ眺望、湯浅宗重の菩提寺で重要文化財の宗重坐像や湯浅氏墓塔が残る山麓の古刹「勝楽寺」、山麓に建つ三層構造の「模擬天守(湯浅城温泉)」、山頂に建立された湯浅城跡碑・解説案内板
ご当地グルメ
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
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