概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | あり(二ノ丸二重櫓・模擬櫓) |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | あり(桜門復元・冠木門) |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
田原城(たはらじょう)は、愛知県田原市田原町字巴江に所在する渥美半島の付け根近く、三河湾(田原湾)に注ぐ汐入川河口低湿地(標高約14メートル)の微高地に築かれた三河田原藩三宅氏1万2千石の平城跡である。通称「巴江城」。田原市指定史跡。文明12年頃に渥美半島の領主・戸田宗光が築城した。本丸を中心に二ノ丸、三ノ丸、出丸、藤田丸が巴状に渦を巻いて配置されたことから巴江城の名がついた。三方を海と干潟・低湿地に囲まれた天然の要害で、後背に船溜まりを持つ水城・海城の機能も兼ね備えていた。寛文4年(1664年)に三宅康勝が入封して以降は明治維新まで三宅氏が12代にわたり治めた。現在は本丸跡に巴江神社、二ノ丸跡に田原市博物館、出丸跡に崋山神社が鎮座し、良好に残る本丸石垣、空堀、土塁、復元された二ノ丸二重櫓や桜門が城郭の面影を今に伝えている。
歴史的役割
戦国期の三河湾・渥美半島における制海権掌握と国境防衛の中核であり、江戸後期には家老・渡辺崋山による先進的な藩政改革・海防論の拠点として歴史に深く名を刻んだ。戦国期には戸田氏が本拠としたが、今川義元に攻められ落城し今川方(朝比奈氏)の支配下となった。桶狭間の戦い後に徳川家康が奪還し本多広孝を配置。小田原征伐後は家康の関東移封に伴い池田輝政の家臣・伊木忠次が入城した。江戸期には三宅氏が定着し、幕末期には田原藩家老となった渡辺崋山が活躍。飢饉対策として「備荒儲蓄」政策を断行して天保の大飢饉で藩内から餓死者を一人も出さず、幕府の鎖国政策に対して『慎機論』を著して海防強化を説くなど、日本の近代思想史を切り拓く舞台となった。中世土豪の海城から近世大名陣屋格城郭への変遷を辿る渥美半島の重要遺跡である。
見どころ
本丸周囲を取り囲み当時の堅固な石積みを伝える「本丸石垣」および「空堀」・「土塁」遺構、二ノ丸跡に木造で外観復元された白亜の「二ノ丸二重櫓」および「桜門(復元城門)」、田原城本丸跡に鎮座する「巴江神社」および三ノ丸跡に建てられた「田原市博物館(渡辺崋山関連の国重要文化財・城郭資料展示)」、出丸跡に建立され藩政改革と蘭学の巨人・渡辺崋山を祀る「崋山神社」および「崋山幽居跡(池ノ原幽居跡)」、三河湾の水運と連結していた天然の堀「汐入川」の景観、田原市指定史跡碑・詳細な縄張図付き解説案内板
ご当地グルメ
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
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