概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
亀山城(かめやまじょう)は、島根県江津市江津町に所在する中国地方最大の河川・江の川河口西岸と日本海を望む標高約40メートル(比高約35メートル)の独立丘陵「亀山」頂部に築かれた中世平山城(海城)跡である。通称「江津城」「江津亀山城」。文明年間に中世石見国の名族・福屋兼通が本拠の本明城に対する河口・港湾防備の重要出城(支城)として築いたと伝わる。東側を江の川の滔々たる大流、北側を日本海に抱かれた水陸交通の要害に位置し、山頂の主郭(本丸)を中心に階段状に削平段を配した連郭式縄張を持つ。背後の丘陵尾根筋には深大な堀切や竪堀が掘削され、曲輪周囲には土塁や急峻な切岸が遺存する。江の川舟運と日本海海運の結節点である郷戸湊・江津湊を直接掌握する水軍・流通拠点として機能した。現在は城山公園として遊歩道や展望台が整備され、市街地と日本海の絶景を望む。
歴史的役割
江の川流域と日本海沿岸を結ぶ水運・軍事交通の急所を扼した石見国衆・福屋氏の北西防衛中枢であり、戦国期における毛利氏と尼子氏の石見銀山争奪戦の余波を受けた激闘の舞台となった。福屋氏は本明城を本拠として邑智・江津一帯に一大勢力を誇り、当初は大内氏、後に毛利元就に属した。しかし永禄4年(1561年)、福屋隆兼は石見銀山を巡る戦いの中で毛利氏から離反し出雲の尼子義久に通じて挙兵。亀山城も吉川元春・小早川隆景率いる毛利軍の猛攻に晒された。翌永禄5年(1562年)、本拠の本明城とともに毛利軍によって落城させられ、福屋一族は出雲へ敗走し滅亡。その後城郭としての重要性は川原城や石見銀山直轄防衛網へ移り、亀山城は廃城となった。中世山陰における大河河口を制圧した水軍・海城ネットワークの様相と、戦国領主の興亡を今に伝える貴重な遺跡である。
見どころ
江の川河口を見下ろす山頂に造成された「主郭(本丸跡)」および尾根沿いに連なる「二の丸・腰曲輪群」、背後尾根からの敵の進入路を遮断する「堀切」および斜面に落ちる「竪堀」遺構、主郭を取り巻く「土塁」および山腹を削り落とした険峻な「切岸」、山頂展望台から眼下に広がる江の川河口の雄大な流れ・日本海の水平線・江津市街地の大パノラマ眺望、城山山麓に位置し江津町発祥の歴史を伝える「山王寺」および旧江津宿の街並み、城山公園登城口に設置された亀山城跡標柱・解説案内板
ご当地グルメ
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
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