概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | あり(模擬冠木門・櫓門再現) |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
砥石城(といしじょう)は、長野県上田市上野に所在する上田盆地北東縁・神川西岸に突出した標高約788メートル(比高約240メートル)の険峻な山稜頂部に築かれた戦国期信濃屈指の山城跡である。長野県指定史跡。通称「戸石城」「砥石米山城」。村上頼清により築かれたと伝わり、戦国期には葛尾城主・村上義清の東信濃支配の最重要前線防衛拠点となった。北から「枡形城」「本城(砥石城)」「砥石米山城(米山城)」「宮坂城」の4つの独立した郭群が南北に連なる連郭・複郭式縄張を持ち、痩せ尾根の要所を深大な堀切、連続竪堀、土塁、野面積み石積み、威圧的な切岸で徹底防御している。武田晴信(信玄)が義清に大敗を喫した「砥石崩れ」の舞台、および真田幸隆が調略によって無血攻略し真田氏飛躍の契機となった城として名高い。現在は城址碑や模擬門が整備されている。
歴史的役割
東信濃の交通・軍事の要衝(鳥居峠・菅平方面および千曲川流域への分岐点)を扼する不落の要塞であり、武田信玄の生涯最大の敗戦と真田氏の台頭を決定づけた歴史的激戦地である。天文19年(1550年)、信濃侵略を推し進める武田晴信は当城を力攻めするも、村上義清軍の巧妙な挟撃と城兵の奮戦により武田軍は横田高松ら重臣を含む千名近い戦死者を出して総崩れとなり敗走した(砥石崩れ)。翌天文20年(1551年)、武田配下となった真田幸隆が内部調略を用いて一日で当城を調略・攻略に成功し、村上氏没落の決定打を放った。以後は真田氏の本拠支城となり、真田昌幸・信幸・信繁(幸村)らも活用。慶長5年(1600年)の第二次上田合戦では信幸(東軍)と昌幸・信繁(西軍)の兄弟・親子の葛藤の舞台となった。戦国大名の興亡と真田軍略の原点を今に伝える屈指の記念碑的遺構である。
見どころ
砥石山山頂に削平された広大な「本城跡(砥石城主郭)」および南北尾根上に連なる「枡形城・米山城・宮坂城」の巨大連郭群、尾根筋を峻険に遮断し武田軍を拒んだ深大な「大堀切」および斜面に無数に刻まれた「竪堀」・「空堀」遺構、主郭縁辺部に遺存する防衛用の「土塁」および要所の斜面を固めた「石積み(石垣)」痕跡、山腹を削り落とした威圧的な「切岸」と山腹に現存する「井戸跡」、山頂展望広場から見晴らす上田盆地・千曲川・上田城跡・塩田平・遠く美ヶ原や北アルプス連峰の360度大パノラマ絶景、登城口に整備された長野県指定史跡標柱・模擬冠木門・詳細な縄張解説案内板