概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
富松城(とままつじょう)は、兵庫県尼崎市富松町二丁目に所在する猪名川西岸平野の微高地(標高約7メートル)に築かれた中世屈指の平城・環濠城郭跡である。細川管領家に仕えた国人領主・富松氏(富松頼秀ら)の本拠居城として築かれた。東西約100メートル・南北約100メートル規模の方形主郭(字「城の内」)を中心とし、周囲を幅約5〜8メートルの堀と重厚な土塁で囲繞した典型的な平地環濠方形居館の構造を持つ。戦国期の激しい争乱の中で細川氏・三好氏の軍事拠点として度々改修された。都市化が進んだ現在も、尼崎市によって「富松城跡緑地」として一部公有地化・保存整備されており、竹林の中に高さ約1.5メートルの土塁、堀跡の窪地、切岸、生活水源の井戸跡が良好に現存する。尼崎市教育委員会設置の解説板や標柱が建ち、平野部の中世武士団居館の原形を留める貴重な遺跡である。
歴史的役割
畿内の覇権をめぐる細川氏の内紛(両細川の乱)から三好政権、織田信長の摂津侵攻に至るまで幾多の激戦の舞台となった。永正・大永年間には細川高国方の重要拠点となり、大永7年(1527年)の川勝寺口の戦い前後には細川晴元方の波多野稙通・柳本賢治らに攻められ落城。享禄3年(1530年)には薬師寺国包が籠城したが晴元軍に敗れるなど争奪戦が繰り返された。天正6年(1578年)の荒木村重による織田信長への謀反(有岡城の戦い)では、信長軍が有岡城を完全包囲するための付城群(包囲陣城)の一つ「富松砦」として接収され、織田方の武将が布陣して兵粮・連絡路遮断に寄与した。乱の終結後に城郭としての役割を終えて廃城となったが、近世以降も富松村の集落区画や自衛施設として機能し続けた。摂津平野における中世城郭の変遷と戦国合戦史を解明する上で極めて重要な史跡である。
見どころ
富松城跡緑地内に奇跡的に遺存する竹林に覆われた防衛用の「土塁」遺構、土塁外側に沿って明瞭な窪地として残る「空堀(堀跡・水路跡)」痕跡、方形主郭(城の内)の平坦面および土塁裾の「切岸」地形、城内生活水源の「古井戸跡」、尼崎市教育委員会設置の「富松城跡解説案内板」および標柱、富松城の守護神として隣接地に勧請された名刹「富松神社境内(市指定有形文化財の社殿・絵馬群)」、遠見遮断や防御構造を色濃く残す周囲の路地割・微高地景観