概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
権現山城(ごんげんやまじょう)は、神奈川県横浜市神奈川区幸ケ谷(旧武蔵国橘樹郡神奈川郷)の神奈川湊に面した標高約20メートル(比高約15メートル)の独立丘陵「権現山」に築かれた戦国時代初頭の平山水城(海城)跡である。かつては袖ヶ浦と呼ばれた東京湾の海岸線に突出する天然の要害で、直下に東海道と神奈川湊を扼する水陸交通の重要拠点であった。現在は幸ヶ谷公園や幸ヶ谷小学校の敷地となっている。幕末の神奈川台場築造や明治の鉄道開通(現JR東海道線敷設)に伴う土砂採掘により丘陵の大半が切り崩され山容が激変したが、公園周囲の急峻な切岸状崖面に城郭立地の面影をとどめる。公園内には権現山合戦や幕末史跡の解説板が設置され、山頂からはかつての神奈川湊および横浜港方面を一望できる。
歴史的役割
永正7年(1510年)、扇谷上杉家の重臣・上田上野介政盛が相模を制圧しつつあった伊勢宗瑞(北条早雲)に通じて挙兵し、この権現山に急造した城郭に籠城した。これに対し扇谷上杉朝良は山内上杉顕定とともに大軍で包囲し、早雲も援軍を派遣して激しい攻防戦が展開された(権現山合戦・権現山の戦い)。城兵は孤軍奮闘したものの、上杉軍の総攻撃により落城し上田政盛は討死、築城からわずか数か月で廃城となった。この合戦は後北条氏による武蔵進出の端緒を開いた戦乱として日本中世史・関東戦国史において極めて重要な軍事的画期とされる。幕末には近隣の洲崎・神奈川宿とともに開国史の舞台となった。
見どころ
権現山合戦の激戦地となった幸ヶ谷公園の独立丘陵地形、明治の鉄道敷設に伴う削平を免れて残る急峻な切岸状の断崖地形、幸ヶ谷公園内に設置された権現山城合戦および歴史解説案内板、近隣の青木町に位置する青木城跡(本覚寺境内・アメリカ領事館跡)との連携地形景観、標高約20mの公園高台から旧東海道・神奈川湊・横浜みなとみらい方面を見渡す東京湾岸要害ならではの眺望
ご当地グルメ
横浜家系ラーメン、サンマーメン、生麦穴子天丼、シュウマイ(崎陽軒)、ハマぽーく豚肉料理
概要・現地案内板
城犬のおいど 攻城記録






