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100名城・続100名城 146番
別称 牧野城、扇城、新城
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 あり
標高 212.4m
最終訪問日 2026-03-29

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者武田勝頼
築城年天正元年(1573年)
廃城年天正18年(1590年)頃
主な城主馬場氏、武田氏、松平氏、徳川氏
指定文化財国指定史跡

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門あり(二の曲輪中門)
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:212.4m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

諏訪原城(牧野城)は、静岡県島田市菊川の牧之原台地東端部(標高約220メートル、比高約150メートル)に築かれた戦国時代の山城跡である。東海道を見下ろす交通の要衝に位置し、東側の急峻な断崖を天然の防壁としつつ、西側の台地続きに対して深大な空堀と三日月堀、丸馬出を幾重にも配置した甲州流築城術の最高峰として知られる。武田氏が築城した諏訪原城を徳川家康が奪取・拡張したため、武田・徳川双方の土木改修の痕跡が極めて良好な状態で残存する。発掘調査成果をもとに二の曲輪中門や木橋が忠実に復元され、ガイダンス施設「諏訪原城ビジターセンター」も整備されている。

⚔️ 歴史的役割

元亀4年/天正元年(1573年)、遠江攻略を進める武田勝頼が馬場美濃守信春らに命じて築城させた。城内に諏訪大明神を勧請・祀ったことから諏訪原城と称され、徳川方の高天神城を攻略・孤立させるための前線兵站拠点として機能した。天正3年(1575年)の長篠の戦い後、徳川家康が総攻撃を仕掛けて城を奪取。「牧野城」と改称され、松平家忠や松平康親らが城番を務め、今度は武田方の高天神城を締め上げる重要包囲拠点へと転換した。天正9年(1581年)の高天神城落城を経て軍事的使命を終え、天正18年(1590年)の徳川家康の関東移封に伴い廃城となった。

👀 見どころ

武田流築城術の粋を集めた雄大な丸馬出群と巨大な三日月堀、二の曲輪と本曲輪を分断する深大な空堀(大堀切)遺構、発掘遺構に基づき忠実に復元された「二の曲輪中門」、曲輪周囲に巡らされた重厚な土塁と切岸、茶畑が広がる牧之原台地と大井川流域・富士山を望む雄大な眺望

🍲 ご当地グルメ


おいど攻城記録


🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR東海道本線金谷駅から島田市コミュニティバス(勝間田線等)で約6分「諏訪原城跡」下車すぐ、または金谷駅から旧東海道石畳経由で徒歩約30分

車でのアクセス

新東名高速道路 島田金谷ICから国道473号バイパス経由で南へ車で約5分、または東名高速道路 相良牧之原ICから約15分

駐車場

有(諏訪原城ビジターセンター駐車場、無料約30台)

📍 周辺地図

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