概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | あり(二の曲輪中門) |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
諏訪原城(牧野城)は、静岡県島田市菊川の牧之原台地東端部(標高約220メートル、比高約150メートル)に築かれた戦国時代の山城跡である。東海道を見下ろす交通の要衝に位置し、東側の急峻な断崖を天然の防壁としつつ、西側の台地続きに対して深大な空堀と三日月堀、丸馬出を幾重にも配置した甲州流築城術の最高峰として知られる。武田氏が築城した諏訪原城を徳川家康が奪取・拡張したため、武田・徳川双方の土木改修の痕跡が極めて良好な状態で残存する。発掘調査成果をもとに二の曲輪中門や木橋が忠実に復元され、ガイダンス施設「諏訪原城ビジターセンター」も整備されている。
歴史的役割
元亀4年/天正元年(1573年)、遠江攻略を進める武田勝頼が馬場美濃守信春らに命じて築城させた。城内に諏訪大明神を勧請・祀ったことから諏訪原城と称され、徳川方の高天神城を攻略・孤立させるための前線兵站拠点として機能した。天正3年(1575年)の長篠の戦い後、徳川家康が総攻撃を仕掛けて城を奪取。「牧野城」と改称され、松平家忠や松平康親らが城番を務め、今度は武田方の高天神城を締め上げる重要包囲拠点へと転換した。天正9年(1581年)の高天神城落城を経て軍事的使命を終え、天正18年(1590年)の徳川家康の関東移封に伴い廃城となった。
見どころ
武田流築城術の粋を集めた雄大な丸馬出群と巨大な三日月堀、二の曲輪と本曲輪を分断する深大な空堀(大堀切)遺構、発掘遺構に基づき忠実に復元された「二の曲輪中門」、曲輪周囲に巡らされた重厚な土塁と切岸、茶畑が広がる牧之原台地と大井川流域・富士山を望む雄大な眺望