城郭DATA -CASTLE DATA-
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ヨミカナ | ゴリョウカク |
| 別称 | 亀田御役所土塁、亀田役所土塁、柳野城 |
| スタンプ設置場所 | 箱館奉行所付属建物 |
| 曲輪配置 | 稜堡式 |
| 城郭種類 | 平城 |
| 築城者 | 江戸幕府 |
| 築城年 | 1866年 |
| 廃城年 | 1869年 |
| 主な城主 | 江戸幕府 |
| 指定史跡 | 国指定 |
| 標高 | 13.9 m |
| 城址碑 | あり |
| 案内板 | あり |
| 現存建造物 | 兵糧庫 |
| 復元建造物 | 奉行所、板庫、土蔵 |
| 遺構 | 土塁、石垣、水堀 |
| 現状 | 特別史跡五稜郭跡 |
| 駐車場 | 函館市五稜郭観光駐車場 |
| 最寄り駅 | JR 五稜郭駅 |

概要・現地案内板
五稜郭跡は、幕末の箱館開港に伴い設置された箱館奉行所の防御施設で、箱館奉行配下の諸術調所教授役で蘭学者の武田斐三郎成章により、中世ヨーロッパで発達した城塞都市を参考に設計された西洋式土塁です。
稜堡とよばれる5つの突角が星形の五角形状に土塁がめぐっていることから五稜郭と呼ばれ、郭内には日本伝統建築の箱館奉行所庁舎とその付属建物20数棟が建てられました。安政4年に築造を開始して7年後の元治元年に竣工、同年6月に奉行所が移転して蝦夷地における政治的中心地となりました。
その後、明治維新により明治新政府の役所となりましたが、明治元年10月に榎本武揚率いる旧幕府脱走軍が占拠、翌明治2年5月に終結する箱館戦争の舞台となりました。
箱館戦争後は、明治4年に開拓使もより郭内建物のほとんどが解体され、大正時代以降は公園として開放されています。
五稜郭跡は、築造時の形態がよく残っていて日本城郭史上重要であるとともに幕末期の洋学採用の一端を示すものとして学術上きわめて価値が高いことから、北海道で唯一の国の特別史跡に指定されています。
※現地案内看板より
城犬のおいど 攻城記録
大手口

二の橋

表門

門番所跡
郭内への出入口となる3か所の本塁には門が設置され、その内側には門番所があったことが古文書に記されています。発掘調査により正面入口となる南西側の本塁の間で、古文書の記録と同じ規模の建物跡が発見されました。6畳と5畳半の2部屋と土間・縁側の間取りで、外には便所があったようです。
※現地説明板より

土塁・石垣
五稜郭の土塁は、堀割からの揚げ土を積んだもので、土を層状に突き固める版築という工法で造られています。郭内への出入口となる3か所の本塁は、一部が石垣造りとなっています。特に正面の出入口となる南西側の本塁石垣は、他の場所の石垣よりも高く築かれていて、上部には「刎ね出し」とよばれる防御のための迫り出しがあります。

石垣には函館山麓の立待岬から切り出した安山岩や五稜郭北方の山の石が使われています。
※現地説明板より

武田斐三郎先生顕彰碑
五稜郭は我が国はじめての様式築城で安政4年着工。7年の歳月を費して元治元年(1864)に竣工した。のち旧幕府脱走軍がこの城に拠り箱館戦争の本城となった。築城100年記念に当たってこの碑を建てた。
※現地石碑より

身隠土塁
一文字土塁とも呼ばれ、外部から内部を見られないように虎口の内側に造られた「蔀」である。


土蔵(兵糧庫)
五稜郭築造時の建物で、唯一現存しているものです。箱館戦争の記憶から、いつしか「兵糧庫」と呼ばれるようになったようです。大正時代には「懐旧館」という箱館戦争の展示資料館として利用されていました。文献資料や発掘調査成果から庇屋があったことが確認されたことから、平成13・14年度の修理工事の際に、現在の姿に復元しました。
※現地説明板より

箱館奉行所
箱館奉行所は、幕末の箱館開港により設置された江戸幕府の役所で、奉行所の防御施設として築造されたのが五稜郭です。安政4年(1857)に着工して7年後の元治元年(1864)に完成し、蝦夷地の政治的中心となりました。明治維新の際には戊辰戦争最後の戦いである箱館戦争の舞台となり、明治4年(1871)に奉行所庁舎は解体されました。それから140年の時を経て、平成22年(2010)に箱館奉行所が復元されました。
※現地案内看板より



裏門

裏門橋

男爵薯を讃ふ
明治34年頃、本道開拓の先覚者川田男爵が海外旅行し、帰途数個の種馬鈴薯を手に入れ、七飯町に植えて、繁殖させ、「男爵薯」と命名したのを記念した石碑。



跳出石垣


五稜郭タワー

土方歳三像

30ポンド短カノン砲

展望台からの眺望

五稜郭復元模型

半月堡
半月堡は、西洋式土塁に特徴的な三角形状の出塁で、馬出塁ともいいます。郭内への出入口を防御するために設置されています。当初の設計では各稜堡間の5か所に配置する予定でしたが、工事規模の縮小などから、実際には正面の1か所だけに造られました。北側中央部の土坂が開口部となっているほかは、刎ね出しのある石垣で囲まれています。
※現地説明板より

2018/5最終訪問
城郭周辺地図
北海道函館市五稜郭町
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