城郭DATA -CASTLE DATA-
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ヨミカナ | シロイシジョウ |
| 別称 | 益岡城、桝岡城、枡岡城 |
| スタンプ設置場所 | 白石城天守 09:00-17:00 |
| 曲輪配置 | 梯郭式 |
| 城郭種類 | 平山城 |
| 築城者 | 白石氏 |
| 築城年 | 鎌倉時代 |
| 廃城年 | 1875年 |
| 主な城主 | 白石氏、蒲生氏、上杉氏、片倉氏 |
| 指定史跡 | 市指定 |
| 標高 | 78.1 m |
| 城址碑 | あり |
| 案内板 | あり |
| 現存建造物 | 東口門(当信寺山門)、厩口門(延命寺山門) 煙硝蔵(個人宅) |
| 復元建造物 | 三階櫓、大手二ノ御門、塀 |
| 遺構 | 石垣、堀 |
| 現状 | 史跡白石城跡 |
| 駐車場 | 白石城城下広場駐車場 |
| 最寄り駅 | JR 白石駅 |

概要・現地案内板
天正19年(1591)豊臣秀吉は、伊達氏配下にあったこの地方を没収し、蒲生氏郷に与えた。蒲生氏家臣蒲生源左衛門氏成は城下町を含む城郭、白石城を築城し城主となった。
慶長3年(1598)上杉領となってから上杉氏家臣甘糟備後守清長は白石城の再構築を行い居城した。
慶長5年(1600)関ヶ原合戦の直前、伊達政宗は白石城を攻略し、この地方は再び伊達領となり伊達氏家臣である片倉小十郎が大改修を行い、以後明治維新まで260余年間片倉氏の居城となった。
※現地看板より
城犬のおいど 攻城記録
駐車場

沼の丸

切通門跡

中の丸

二の丸跡
慶長20年(1615)の大阪夏の陣で、真田幸村は片倉小十郎重長と激闘を繰り広げた。真田幸村は大阪城落城の前夜、幼い子どもたちを小十郎に託し、子どもたちはこの二の丸で密かに育てられたという。


横綱像
明治2年11月28日、父萬吉の長男として、白石市大鷹沢三沢字唐竹に生まれる。少年のころ、60キログラムの米俵を両手に軽々と提げ町まで運び、「三沢の怪童」と呼ばれた。明治17年、年寄尾車文五郎の門に入り、郷里の地名にちなみ、しこ名を「三澤滝」と称した。身長198センチメートルの巨漢であった。明治21年しこ名を「大砲」と改める。明治34年4月3日、第18代横綱に推挙され一世を風靡した。
※現地説明板より

馬場跡

マンホール



井戸屋形(復元)

大手一ノ門

大手二ノ門

本丸
白石城本丸は仙台藩主伊達家が白石城に宿泊するための「御成御殿」、「表御殿」、城主片倉家の私的な居館であった「奥向御殿」からなっていた。
※現地看板より

鐘堂
白石城鐘堂は、その脇に物日(祝いの日)に片倉家の白地黒鐘の大馬じるし、三階黒鳥毛などが立てられたと伝えられるが、発掘調査の結果等により、三階櫓(天守)東側のこの突出平場に建っていたと考えられます。もとの鐘は文正元年(1466)に鋳造されて、伊達郡東昌寺にあった。東昌寺は伊達家四世政依が弘安年中(1278~88)に建立した寺で現在仙台市に移っている。何時の時代にか白石城に入って、非常の際に撞き鳴らされていた。

また毎年7月、城回りの土手と堀の清掃の時には、この鐘を鳴らした。朝8時に7つ撞いて仕事を始め、9時に5つ、10時に3つで終わる。侍と城下にいる足軽、その他扶持を受けている者が総出で堀払いをした。長年使用したため、ひびが入ったので、寛文元年(1661)、片倉3代景長が仙台の鋳物師早山彌五助に命じて再鋳した。それが戊辰戦争後、明治3年(1870)白石城払い下げの時、ゆかりを知って伊達郡桑折町の傳来寺で買い求め、その由来を新たに記して使用していた。太平洋戦争中、古鐘であるといって保存させたので供出をまぬがれて傳来寺境内に現存している。
※現地看板より

鐘

本丸井戸

三階櫓
最も重要な施設で司令の中枢、物見や武器、武具他を貯蔵する機能を持ち防備の最後の拠点でもあります。



武者走り


木材
柱が吉野桧、化粧材は青森桧葉、山陰地方の松丸太、赤杉等国内産の材料を使用しています。今では国内でも調達しにくい貴重な国産材を使うというこだわりで復元が実現した。

棟札


瓦
白石城の瓦は、「美濃の耐寒いぶし瓦」で1150度の高温焼成で36時間をかけて焼いたもので、耐寒性に優れ、吸水率が低いという特性があります。



本丸御殿跡

片倉小十郎碑

土塁

辰巳櫓跡

裏御門跡


東口門跡
白石城「東口門」は、正式には「二ノ丸大手二ノ門」と言い、白石城東側を迂回するように通った奥州街道沿いの大手口から城内に入り、外曲輪、三ノ丸内の屈折した通路を通り、二ノ丸へ入る関門であった。片倉家屏風絵による東口門は、二階に横幅のある格子窓がつき、その両側に狭間が穿たれている。

また、階下両側にも狭間が設けられ、白石城東側の防衛拠点だった様子がうかがえる。明治7年(1874年)東北本線の開通に伴い、白石市本町にある「当信寺(とうしんじ)」山門として移築された。現在の山門は、二階櫓門で二階中央間の表と裏に大きな「眼象窓(げんじょうまど)」が各一つ、二階側面には「丸窓」がついている。幕末、この門の二階に鐘もしくは太鼓を置いて、時を知らせるため、音の響きをよくするため開けた穴と伝えられ、往時の面影をとどめている。
※現地看板より

武家屋敷

片倉家中武家屋敷
ご案内
武家屋敷を見学される方は、
入館券が必要です。
入館券は、道路向かい側の
管理事務所でお求め下さい。







延命寺
延命寺 真言宗智山派 本尊 大日如来
慶長初年に中道坊卓彦俊雄師によって中輿と伝えられる。
※現地看板より

旧白石城厩口門
三間一戸 二階建瓦葺。もと厩曲輪(明神社一の鳥居付近)に建っていたもので、高さは少し低くなっている。
※現地看板より

山門(東口門)
三間一戸の2階建の門である。もともと白石城二ノ丸の大手二ノ門であったが、明治7年以降の白石城解体、払い下げの時、市内の専念寺に払い下げ、移築された。その後、明治20年の東北本線開通の時、当信寺へ移築されたものである。白石城ゆかりの数少ない建築物である。
※現地説明板より

当信寺説明板
真田信繁(幸村)の娘の墓は如意輪観音の坐像である。昭和26年頃に公園用地造成のため、現在地に移転している。その隣には片倉四郎兵衛守信(大八)の墓がある。
※現地説明板より

中屋敷陣屋跡

2024/7最終訪問
城郭周辺地図
宮城県白石市益岡町
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