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遠江国 浜松城 [ HAMAMATSU CASTLE ]

城郭DATA -CASTLE DATA-

項目内容
ヨミカナハママツジョウ
別称曳馬城、引馬城、引間城、匹馬城
スタンプ設置場所浜松城天守門 08:30-16:30
曲輪配置梯郭式
城郭種類平山城
築城者今川貞相
築城年永正年間
廃城年1871年
主な城主飯尾氏、松平氏、堀尾氏、井上氏、水野氏
指定史跡市指定
標高36.1 m
城址碑あり
案内板あり
現存建造物あり
復元建造物あり
遺構あり
現状浜松城公園
駐車場浜松城公園駐車場(90分無料)
最寄り駅遠州鉄道 遠州病院駅


概要・現地案内板

浜松城は徳川家康が遠州攻略の拠点として築いた城で、元亀元年(1570)6月に入城し、17年間在城した。
東西600メートル、南北650メートルの規模で、南の東海道に大手門が開き、東から西へ三之丸、二之丸、本丸、天守台と連なり、順次高さを増す。
ここは、その天守曲輪の跡である。
家康の後、城主は代々譜代の大名が勤め、在城中に老中まで栄進した人が多い。
中でも水野越前守忠邦の名はよく知られている。
石垣は、野づら積みと呼ばれる堅固な作りで、古い石垣の特徴をよく残しており、浜松市の史跡に指定されている。

※現地看板より


城犬のおいど 攻城記録


鉄門跡


鉄門は、文字通り、扉や柱などの門の一部に鉄製の部材を使っていた門であったと考えられます。本丸への正面出入口として重要な門であり、天守門と同様に門の上部に櫓を有する櫓門でした。江戸時代前半の絵図(左上)には、門の内側に桝形(四角形)の虎口(侵攻してきた敵を前後左右から攻撃できるようにした空間)が描かれ、高い防御機能を持っていたことがうかがえます。

1872年(明治5年)まで鉄門は存在していましたが、その後の払い下げ等により失われています。なお、鉄門の推定位置については、東側の歩道路面にあるプレートにより確認することができます。
※現地案内板より

本丸


家康公の像


浜松城の初代城主である徳川家康公の像。右手には家康公の兜の象徴である羊歯印を持つ。
※現地案内板より

天守門


浜松城の第二代城主、堀尾吉晴は城の中枢である天守曲輪に天守を建築したと言われているが、この天守は古図などの資料から、江戸初期には喪失していたと考えられる。天守曲輪入口の天守門は幕末まで維持されたが、明治6年(1873)に解体され、払い下げられた。

「安政元年(1854)浜松城絵図」には安政地震による浜松城の被害状況が示されており、天守門でも櫓の壁が一部潰れたものの、深刻な被害を免れた事が記載されている。絵図には天守曲輪の外周を土塀が囲んでいる様子も描かれている。天守門は、門の上部に櫓が載る櫓門と呼ばれる形式がとられている。天守門のように櫓が両側の石垣上にのびる渡櫓は、石垣を多用した西日本の城に多く見られる。
※現地案内板より

天守曲輪


浜松城の天守台周辺には、本丸とは別に天守曲輪と呼ばれる区画が築かれている。この天守曲輪の出入口として東に大手である天守門、西に搦手の埋門を配置している。浜松城の天守曲輪は東西56m、南北68mで、石垣の折れ曲がる角度が様々で、複雑な多角形をしている点が特徴である。

これは自然の山の形を反映した結果と考えられ、石垣造りの曲輪としては古相を留めた形といえる。また曲輪の外周には土塁が巡らされていたと考えられる。天守曲輪は掛川城、和歌山城等にも見られるが、類例は決して多くない。掛川城は浜松第二代城主堀尾吉晴の同輩である山内一豊が、和歌山城は豊臣秀長がそれぞれ築いており、豊臣秀吉と深くかかわる遺構と言える。
※現地案内板より

井戸


浜松城の天守台には穴蔵と呼ばれる地階がある、その中央部には石組井戸がある。石組井戸とは穴のまわりを、石を積んで崩れないようにしたもので、この時代、他の城郭にも多く見られる。浜松城の他に名護屋城、松江城などにも天守穴蔵に井戸がある。

井戸は、城内に住む人々の飲料水として、また戦いの時には籠城になることも想定し、最後の拠点として天守内部や、天守の間近に設けられることがあった。
※現地看板より

天守門


スタンプ設置場所


続日本100名城のスタンプはこちら。

白龍神伏見太郎稲荷神社


天守台


井戸


この井戸は、銀名水と呼ばれていたという。浜松城には、天守台に一つ、天守曲輪の埋門のそばに一つ、本丸に一つ、二の丸に三つ、作左曲輪に四つ、計十本の井戸があったという。天守台の井戸は、再建の時に残し、今は天守の地下室にある。直径1.3m、深さは現在1mほどになっており水はない。
※現地看板より

埋門跡


浜松城の天守曲輪には、天守門を通る大手筋(表通路)と埋門を通る搦手筋(裏通路)の2つの城内通路がある。大手筋は、一般的に城主や客人が使用する通路であり、大手筋の門には格式が

西端城曲輪


富士見櫓跡


富士見櫓は、江戸時代に描かれた浜松城の絵図や明治時代初めの浜松城払下げ時の資料に記録が残る本丸北側の櫓台上に建てられた櫓である。2008・2009(平成20・21年)の発掘調査では、櫓(北面)の3つの礎石が見つかり、その北側には玉石が敷かれていたことが明らかになった。

富士見櫓は、京間(1.97m)を用いた御殿風の建物とみられ、名称のとおり、富士山への眺望を意識して建てられたと考えられる。富士見櫓の建築時期は明らかではないが、桔梗紋の家紋瓦が多く出土しており、太田氏が城主だった17世紀後半には既に存在していたとみられる。
※現地案内板より

二の丸


二の丸御殿跡(葵広場)


駐車場


最初90分無料
以後30分毎100円加算
最大料金520円

2025/2最終訪問


城郭周辺地図

静岡県浜松市中央区元城町

浜松城公園駐車場(90分無料)


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